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第71回
ドーピング騒動の中で始まるリオオリンピックへの期待
いよいよリオデジャネイロ・オリンピックです。
楽しく、熱狂の17日間が始まりますが、ロシアの国ぐるみのドーピング(禁止薬物使用)騒動には世界中のスポーツファンが動揺したはずです。ロシアの100人以上の選手の出場が認められないというのです。ニュースが報じられたのが7月の最終週。聖火がともるまで1週間を切ったときですからオリンピックの歴史でも前代未聞です。
リオ入りしていた日本の体操選手たちの「ロシアには出てほしい」といった、という短信を読みましたけれど、ロシアが出場しないと横綱のいない大相撲になってしまう競技がだいぶありそうです。そんな中での、日本選手のコメント、自分たちの自信も感じさせて、なかなかのものでした。
ところで、私はドーピングなどという言葉を読んだことも聞いたこともない時代に選手生活を送ってきた人間です。日本のプロ野球でドーピング検査が始まったのは2007年からで監督引退後、したがって、たいした知識もないのですが、ため息をつきながらドーピングについてあれこれ考えました。
「自分の体内に取り入れるものに気を使うのがスポーツマンだ。体重コントロールを考え、食事の量を調節する。栄養バランスを考え偏食をしない。要するに自分の体内に入れたものについては責任を持つこと」。
大リーグでは新人選手にこう教えるそうです。ドーピング検査で薬物が見つかった。選手はどうして体内に入ったかの説明責任がある。説明できないようなものを体内に入れるな、というわけです。
タバコを吸わない、アルコール飲料を飲まない、そんなところから禁止薬物を近づけない習慣がつくような気がします。

衝撃だった二人のメダリストのドーピング事件
オリンピックでのドーピング事件ではソウル大会(1988年)が強烈でした。100メートルでカール・ルイスを破って金メダルを取ったベン・ジョンソンが表彰台に立ち、首に金メダルをかけた二日後にメダルを剥奪され選手村から追放です。世界中の記者たちがカナダに帰るジョンソンを追って飛行場に向かいました。私は"取材"でソウルに行っていましたから、本当に驚いた。同時に薬物をすぐ発見するドーピング検査の威力も印象に残りました。「ごまかしは絶対に出来ないぞ」と。
もうひとりの選手も忘れられません。これは現場にいたわけではありませんが、マリオン・ジョーンズです。「カール・ルイス女性版」という評判で注目していたのですが、シドニー・オリンピック(2000年)の陸上短距離に出場し、金メダル3個、銅メダル2個を獲得しました。なるほどロサンゼルス大会(1984年)で4個の金メダルの「カールになぞらえられるだけのことはある」と大いに感心しました。ところが、なんとその後7年もたって薬物使用が発覚、メダル没収、全記録抹消。名声も社会的地位もすべて失いました。

検査体制の強化と「いたちごっこ」への期待
OB記者によると、ジョーンズが"捕まった"のには、大リーグが関係していたというのです。ジョーンズに不正薬物を渡していた民間ラボ(研究所)が大リーグの選手たちに薬物を売っていたラボと同じでした。当時の大リーグはステロイド(筋肉増強剤)時代で本塁打が乱れ飛んでいました。大リーグ機構(MLB)は捜査当局に協力し、血眼になって薬物販売ルートを追い、突き止めたラボの顧客にジョーンズがいたのです。
次々と登場する新薬物と検査方法の「いたちごっこ」はご存知でしょう。けれどもこの「いたちごっこ」は続けなければなりません。汚染選手は必ず摘発する、逃がさないという姿勢が最大の警告になるからです。
ドーピング雑談で新たに知ったのは、ドーピング検査で採取された選手の検体(尿)の10年間保存です。そのとき発見方法が分からない新薬も、検体の保存期間中に開発された新方法で再検査、再々検査して違反選手を見つけ出すためです。国際スポーツ組織も検査体制の強化に手を緩めないのです。
とりとめのない話になりました。クリーンなリオ大会を望むばかりです。
第71回 ドーピング騒動の中で始まるリオオリンピックへの期待
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