セコム公式ホームページ限定のオリジナル連載インタビュー「月刊 長嶋茂雄」でお届けする、長嶋茂雄さんからの熱いメッセージの一部をご紹介します。また、毎年、セコムオリジナルの「長嶋さんカレンダー」を作成しており、過去の人気カレンダーの内容をこちらからご覧いただけます。

「セコムしてますか?」のCMでお馴染みの長嶋茂雄さんは、1990年から今日に至るまで24年間にわたりセコムのイメージキャラクターを務めていただいています。セコム公式ホームページのオリジナル連載インタビュー「月刊 長嶋茂雄」では、毎月、長嶋さんから皆さまへの熱いメッセージをお届けしています。
そのほか、毎年、セコムオリジナルの「長嶋さんカレンダー」を作成しています。カレンダーの内容は独自のテーマで構成し、「月刊 長嶋茂雄」の人気インタビューの一部をまとめた年や、1994年から東京ドームに掲出しているセコムの長嶋さんの看板(ビッグボード)にまつわる豆知識をまとめた年、「NAGASHIMA Living Legend」として現役時代から今なお続く長嶋さんの偉業をまとめた年、長嶋さんの数々の名言を「伝説の長嶋茂雄“語録”」としてまとめた年などがあります。それらのセコムオリジナル「長嶋さんカレンダー」の内容をご紹介します。

長嶋さんから皆さまへの熱いメッセージを毎月お届けする「月刊 長嶋茂雄」

セコム公式ホームページのオリジナル連載インタビュー「月刊 長嶋茂雄」では、24年にわたりセコムのイメージキャラクターを務めていただいている長嶋さんが毎月、皆さまに熱いメッセージをお届けしています。
プロ野球の話や、健康についての考えや元気の秘訣など、ここでしか読めない貴重な内容がつまっています。32回にわたり連載している記事の中から一部をご紹介します。

月刊 長嶋茂雄

第16回 「富士山のような日本一の男になれ」より

お正月といえば年賀状、定番のデザインは干支ですが、これは年ごとに替わります。 年が替わっても動じない不変の図柄が富士山でしょう。  わたしは富士山が大好きです。富士山に向かい合うたびに、腹の底から大声で叫びたくなってくるほどです。逆さ扇のやさしい姿でありながら、いつ噴火するかわからない火山の底知れぬ力強さを秘めているのもたまりません。我がパワースポットなんですね。
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第17回 「野球選手が少年に戻るキャンプ・イン」

大リーグにこんな言葉が伝えられています。「18歳のルーキーも40歳を過ぎたベテランも、ユニホーム着るものすべてが少年に生まれ変わるのがキャンプ・インの日だ」と。
2月のキャンプの少年は、長いレギュラー・シーズンを戦い抜き秋、10月の大人へと成長する。それを毎年繰り返すのが野球人・・。うまいことを言うものです。私も少年に戻って泊まりがけの宮崎キャンプに向かいます。
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第7回 「子どもは外で元気に遊ぶのが一番」

小学校時代は、身体が小さく「チビ」と呼ばれていましたが、足の速さはトップでした。イヌのポチより速いので愛称が「ポチ」に変わり、ついには「大将」、ガキ大将へと昇進したんですね。
「遊び」とは大汗をかき、お腹を減らし、時には擦り傷や青あざをこしらえるものでした。身体が鍛えられるばかりか、たまの喧嘩も熱いコミュニケーションのようなもので、それで自然に人との付き合い方を学んだ。そんなことに気が付きます。
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皆さんへの、長嶋さんからお贈りする熱いメッセージはまだまだあります。「月刊 長嶋茂雄」はこちらから

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東京ドームに掲出中のセコムの長嶋さんの看板に関する豆知識

東京ドームの看板(ビッグボード)へのセコムの広告掲出は1994年から始まり、今年で19年目となります。
巨人軍終身名誉監督を務め、“ミスタージャイアンツ”こと長嶋さんが長年、登場しているセコムの看板(セコム・ビッグボード)は、今や東京ドームでも名物看板として有名です。
歴代のセコムオリジナル長嶋さんの看板(ビッグボード)と、それにまつわる豆知識をご紹介します。

【1994年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<ビッグボードの大きさ>

東京ドームの外野に設置されているビッグボードはその名が示すとおり、非常に大きく、サイズは縦7.43m×横9.53mにもなります。

【1994年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<ビッグボードにホームランを当てた選手に贈られる賞金の総額>

セコム・ビッグボード受賞者には賞金100万円が贈呈されます。

【1995年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<ビッグボードの掲出位置>

東京ドームのスコアボードの両サイドにはレフト側に6個、ライト側に5個の広告看板が掲出されています。セコムのビッグボードは、1994年に初掲出以来、スコアボードからライト側3個目に掲出されています。

【1996年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<「ビッグボードスポンサー賞」第1号の受賞選手>

記念すべき第1号は当時広島東洋カープに所属していた金本知憲選手。看板掲出開始から3年目の1996年6月5日に、栄えある第1号の「ビッグボードスポンサー賞」が放たれました。

【1997年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<これまでセコム・ビッグボードに当たったホームランの最長飛距離>

2005年7月4日の当時千葉ロッテマリーンズに所属していた李承燁(イ・スンヨプ)選手と2006年4月12日に読売ジャイアンツの高橋由伸選手が放ったホームランがこれまでの最長飛距離150mを記録しています。尚、最短飛距離は137mです。

【1998年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<読売ジャイアンツで初のセコム・ビッグボード賞を受賞した選手>

金本選手の受賞から約2年後の1998年6月12日。セコム・ビッグボード通算第2号として放たれた松井秀喜選手のホームランが、読売ジャイアンツ所属選手によるセコム・ビッグボード初受賞となりました。この年、松井選手は自身初のホームラン王を獲得しています。

【1999年~2000年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<1999年外国人選手初のセコム・ビッグボード受賞者>

1999年7月1日にロベルト・ペタジーニ選手が放った、セコム・ビッグボード通算第4号ホームランが、外国人選手初のセコム・ビッグボード賞となりました。外国人選手の受賞選手はほかにタフィー・ローズ選手、李承燁(イ・スンヨプ)選手、タイロン・ウッズ選手がいますが、ローズ選手と李選手は意外にもジャイアンツ所属時には受賞していません。

【2001年~2003年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<右打者初のビッグボード受賞者>

東京ドームのライトスタンドに掲出されている、セコム・ビッグボード。右打者で直撃弾を放つのは至難のわざとされてきましたが、清原選手が放った推定137mのホームランが見事にセコム・ビッグボードを直撃しました。清原選手以外にはタイロン・ウッズ選手が2006年に右打者としてセコム・ビッグボードを受賞しています。

【2004年~2007年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<セコム・ビックボード賞の最年長受賞者>

2007年5月19日にローズ選手が放ったホームランは1999年の近鉄バッファローズ所属時に続く、自身2度目のセコム・ビッグボード直撃弾で史上最年長となる38歳9ヵ月での受賞となりました。

【2008年~2010年ビッグボード】

【1994年ビッグボード】
<歴代で最も多くセコム・ビッグボード賞を受賞した選手>

高橋由伸選手はこれまでに3回セコム・ビッグボード賞を受賞しています。また高橋選手は2001年に2度受賞しており、唯一の1シーズン複数回の受賞者でもあります。

【2011年~2013年4月ビッグボード】

【2011年~2013年4月ビッグボード】
<セコム・ビッグボードにホームランを当てた選手の数>

1994年から2007年までの14年間で、11名の選手により14本のホームランが当てられています。

【2013年5月ビッグボード】

【2013年5月ビッグボード】
<2013年5月5日、長嶋さんが国民栄誉賞を受賞されました>

セコムでは、1990年以来24年間、イメージキャラクターを 務めていただいている長嶋さんの受賞をお祝いするとともに、 これまでの感謝の意を表す看板を掲出しています。

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現役時代から今なお続く長嶋茂雄伝説をご紹介する「NAGASHIMA Living Legend」

1957年に通算8本塁打で東京六大学リーグ本塁打の新記録を達成してから現在にいたるまでの、長嶋さんの伝説の一部をご紹介します。

NAGASHIMA Living Legend

通算8本塁打で東京六大学リーグ本塁打の新記録(1954年~1957年)

1957年には立教大学野球部初の東京六大学野球・春秋季リーグ戦連覇を達成し、春には大学日本一となった。その一翼を担う存在であった長嶋は、5シーズン連続でリーグベストナイン(三塁手)に選出され、通算2回の首位打者も獲得している。長嶋は、大学野球でも傑出した選手であった。

プロデビュー戦、国鉄スワローズ金田投手と対戦、4打席連続三振(1958年4月5日)

1958年4月5日、後楽園球場で行われた国鉄(現:ヤクルト)との開幕戦でプロデビュー。相手投手は、エース金田正一。大学時代の活躍などでマスコミからも注目されていた長嶋であったが、結果は4打席連続三振。ただ、見逃しではなく全てフルスイングでの三振であったことが、常人とは一線を画していたとして語り継がれている。

プロ野球初の天覧試合で、サヨナラ本塁打(1959年6月25日)

昭和天皇・皇后が初めて観戦されたプロ野球試合、巨人対阪神戦。同点で迎えた9回裏、阪神のエース村山実投手から本塁打を放って巨人のサヨナラ勝ちという劇的な結果となった。ちなみに、この試合では王選手も本塁打を打っており、ONアベック弾(王と長嶋が同じ試合で本塁打を放つことの呼称)の第1号でもあった。

シーズン214守備機会連続無失策(1969年7月17日~10月9日) ※三塁手としての日本記録

イージーゴロにすら猛然とダッシュし、華麗なランニングスローで送球するその守備スタイルに多くの観客が沸いた。長嶋は、守備でも偉大な選手であった。時にはショートやピッチャーの守備範囲の打球まで反応。特にピッチャー寄りのゴロは本人も「三塁手の見せ場」と公言しており、ピッチャーを制して捕球する場面もしばしば見られた。

5年連続、開幕戦本塁打(1970年~1974年) ※日本記録

プロデビューとなった1958年の開幕戦こそ4打席4三振であったが、その十数年後にはこの偉大な記録を残している。結果的に、現役17年間での通算開幕戦本塁打数は10本(※これも日本記録)。開幕戦の三振から始まり、開幕戦本塁打で記録を残す。このギャップが長嶋のミスターたる所以の一つである。

シーズン最多安打10回(6年連続最多安打を含む)
(1958年~1963年、1966年、1968年、1969年、1971年) ※通算10回は6年連続とともに日本記録

デビューした1958年のシーズン途中から4番打者となり、以後スタメンで4番打者となることが多かった。つまり、1~3番打者より打席数が少ない4番打者であるにもかかわらず最多安打を叩き出し続けた偉大な記録といえる。ちなみに、最多安打が正式なタイトルとして表彰されるようになったのは、イチローの活躍が注目され始めた1994年からである。

公式戦、日本シリーズ、オールスター戦のすべてで通算打率3割以上を記録 ※史上唯一

公式戦は計2186試合において通算打率3割5厘、日本シリーズは計68試合において通算打率3割4分3厘、オールスター戦は計43試合において通算打率3割1分3厘。公式戦の通算打率3割を超えた選手は10人以上存在するが、日本シリーズやオールスター戦といった普段と違う環境でも結果を残したのは長嶋茂雄ただ一人である。

通算成績 首位打者:6回、本塁打王:2回、打点王:5回、通算打率:.305、通算本塁打:444本

首位打者6回獲得は、セ・リーグ記録である。ちなみに、首位打者を獲得したシーズンは安打数でもトップであり、帳尻合わせ(首位打者狙いでの欠場等)のタイトルではないことを物語っている。また本塁打は「一塁ベース踏み忘れ事件」で帳消しになった1本があるが、そのおかげか、後に息子・一茂がセ・リーグ通算3万号の本塁打を記録した。

引退セレモニーでの歴史的な名言「我が巨人軍は永久に不滅です」(1974年10月14日)

引退の1年前、川上監督から「今シーズンで引退して監督になれ」と進言されていた。37歳という年齢で体力・気力ともに限界だったが「あと1シーズン、バットを握らせてください」とお願いしたと、後に本人は語っている。翌年、巨人のV10は中日のリーグ優勝で阻まれ、長嶋は引退を決意することとなった。

ジャイアンツ監督時代「メークドラマ」を合い言葉に最大11.5ゲーム差を覆してリーグ優勝
(1996年)

1996年、シーズン中盤までは広島東洋カープが首位独走しており、巨人は最大11.5ゲーム差をつけられていた。しかし、11ゲーム差で迎えた7月9日の対広島戦を皮切りに快進撃を続け、ゲーム差をひっくり返してリーグ優勝。「メークドラマ」は同年の流行語大賞にもなっている。

日本シリーズでジャイアンツ監督としてホークス王監督と対戦、夢のON対決実現(2000年)

王貞治は1984年~1988年まで巨人の監督を務めたが、1995年からダイエー(現:ソフトバンク)の監督に就任していた。2000年、巨人・ダイエーが共にリーグ優勝し、日本シリーズでON対決が実現。序盤戦、巨人が2連敗したが、その後4連勝して日本一となる。またこの年、長嶋は26年ぶりに背番号「3」をつけたことでも大いに話題となった。

長年のスポーツ振興に対して文化功労者に選ばれる
チャリティ活動が評価され、バチカン有功十字勲章を受章

長嶋のチャリティ活動は海外でも評価されており、1983年にはローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見(えっけん)。1988年にバチカン有功十字勲章を受章し、2005年には文化功労者にも選ばれた。また、子供たちに野球の喜びや楽しさを伝える「長嶋茂雄ドリームプロジェクト」や、数多くのチャリティイベントなどへも参加している。

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長嶋茂雄さん出演「セコム・ホームセキュリティ」CM

「セコム、してますか?」でおなじみの、長嶋茂雄さん出演のCMをまとめました。
1990年からの作品のほとんどをこちらでご覧いただけます。

長嶋茂雄さん出演「セコム・ホームセキュリティ」CM 長嶋茂雄さん出演「セコム・ホームセキュリティ」CM
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