歴代のセコムオリジナル長嶋茂雄さんの看板(ビッグボード)と、それにまつわる豆知識のご紹介や、1957年に通算8本塁打で東京六大学リーグ本塁打の新記録を達成してから現在にいたるまでの、長嶋茂雄さんの伝説「NAGASHIMA Living Legend」と、数々の名言を世の中に送りだしてきた長嶋茂雄さんの名言「伝説の長嶋茂雄“語録”」をご紹介します。
第47回
時速100マイルの快速球が与えてくれるもの
都心のホテルに出かけました。このホームページ用の写真撮影と"雑談取材"のためです。ホテルに入って驚きました。元ドジャース・オーナーのピーター・オマリーさんと会ったのです。
前日来日し、この日は西武球場のオールスター・ゲームで「ノモ(野茂英雄)の殿堂入りセレモニーに立ちあい、すぐロサンゼルスに帰る」というのです。
私が「ビッグ・オマリー」と呼んでいた父上のウォルター・オマリーさん(大リーグ殿堂入り)と親子2代で半世紀もドジャースを所有していましたが、"オマリー時代"のドジャースのモットーは「チームは家族」。かつての家族の一員・野茂のためトンボ帰りの来日だったのです。
スーパースターになる可能性を感じさせる大谷翔平が投げる100マイルの快速球
そんなわけで、雑談は自然オールスター・ゲームになりました。私の注目選手は、ファン同様に大谷でした。プロ2年目、日本ハムの大谷翔平、今季のテレビの中継、スポーツニュースの楽しみの一つに大谷が入っていたのです。
ルーキーの昨季は、投手と打者の二刀流に「プロではどちらも中途半端で終わってしまう。早くどちらか一本に決めるべきだ」とネット裏の論争はなかなかでしたが、ホームランを放つ、時速100マイル(160キロ)の快速球を投げる...これでネット裏を黙らせてしまいました。
本塁打20本の打者は結構いるけれど、あんな快速球を投げる若手はなかなか出ない。そう思っていましたが、今季は投手に落ち着いているようです。
果たして大谷は甲子園の球宴第2戦の先発で日本最速の時速162キロに並びました。190センチの長身でバランスよいスタイルは大リーグの投手たちにひけをとりませんし、時速100マイル=160キロの速球を持つ投手は大リーグでも10人前後ではないでしょうか。ゆったりしたフォームから投げた23球のうち12球が160キロ以上、全国の野球ファンに向けて、最高の舞台で凄い名刺を配りました。
コントロールは練習である程度身に付けられます。打者との駆け引き、配球の組み立ても試合経験を積むことで貯金できる。しかし、160キロの速球を投げられる肩と腕は練習ではなく、両親からの贈り物、持って生まれた才能です。「大谷は試合の後半でも160キロを出す。あれが凄い」と皆が口々にいいます。私も同感です。端正な童顔も、その速球の凄みと対照的で、大谷の魅力を増していますね。
レベルの上がった最近の野球界では(これはすべてのスポーツに当てはまりそうですが)、頭一つ抜け出すのも容易ではありません。たとえ抜け出しても、目が肥えて「もっとすごいプレーを」と贅沢になっているファンには「リトル・スター」程度にしか映らない。こんな時代の「スーパースター」とはハイ・レベルの中で身体一つ以上抜け出すようなプレーができる選手なんですね。私は、大谷にスーパースターの可能性を感じて、わくわくしています。
ルーキーの昨季は、投手と打者の二刀流に「プロではどちらも中途半端で終わってしまう。早くどちらか一本に決めるべきだ」とネット裏の論争はなかなかでしたが、ホームランを放つ、時速100マイル(160キロ)の快速球を投げる...これでネット裏を黙らせてしまいました。
本塁打20本の打者は結構いるけれど、あんな快速球を投げる若手はなかなか出ない。そう思っていましたが、今季は投手に落ち着いているようです。
果たして大谷は甲子園の球宴第2戦の先発で日本最速の時速162キロに並びました。190センチの長身でバランスよいスタイルは大リーグの投手たちにひけをとりませんし、時速100マイル=160キロの速球を持つ投手は大リーグでも10人前後ではないでしょうか。ゆったりしたフォームから投げた23球のうち12球が160キロ以上、全国の野球ファンに向けて、最高の舞台で凄い名刺を配りました。
コントロールは練習である程度身に付けられます。打者との駆け引き、配球の組み立ても試合経験を積むことで貯金できる。しかし、160キロの速球を投げられる肩と腕は練習ではなく、両親からの贈り物、持って生まれた才能です。「大谷は試合の後半でも160キロを出す。あれが凄い」と皆が口々にいいます。私も同感です。端正な童顔も、その速球の凄みと対照的で、大谷の魅力を増していますね。
レベルの上がった最近の野球界では(これはすべてのスポーツに当てはまりそうですが)、頭一つ抜け出すのも容易ではありません。たとえ抜け出しても、目が肥えて「もっとすごいプレーを」と贅沢になっているファンには「リトル・スター」程度にしか映らない。こんな時代の「スーパースター」とはハイ・レベルの中で身体一つ以上抜け出すようなプレーができる選手なんですね。私は、大谷にスーパースターの可能性を感じて、わくわくしています。
心に残る速球投手と速球から広がる野球の話題
速球投手といえば「対戦した投手で一番速かったのは誰ですか?」と聞かれることがあります。「J・R・リチャード」と答えます。ご存じないでしょう。1971年、ビッグ・オマリーの世話になった巨人3度目のベロビーチ・キャンプ、アストロズとのオープン戦で顔を合わせた黒人の新人投手です。マウンドが目の前に近づいた感じ、何しろ大谷より一回り大きい身長2メートル、体重100キロの巨漢がオーバースローで投げてくるから頭の上からのしかかられるようでした。速かった、ボールがすぐ手元にきちゃうんですよ。
調べてもらうと、全盛期は速球時速100マイル、スライダーは148キロだったそうです。1980年まで10年間プレーし奪三振王2回、107勝71敗で引退したのですが、血栓があって腕がしびれていたのに無理に投げ続け、脳血栓の発見が遅れ選手生命を失ったということでした。今は牧師になっているとか。「こんな新人がいるのが大リーグ」と驚き、今も印象に残っているのです。
話のコントロールが乱れて、だいぶ広がってしまいました。けれども大谷の160キロ超の速球はスーパープレーですから、いくらでも話を広げる力があります。ファンの間でも記憶にある歴代速球投手と大谷とを比べて楽しい話題になったと想像します。私も、大リーグで問題になっている投手の故障のこと(田中マー君もその中に入ってしまいました)、野茂のような故障と無縁の投手のこと、速球に対する打者のこと...様々に思いは広がりました。
機会を見ながら話していくことにしましょう。
調べてもらうと、全盛期は速球時速100マイル、スライダーは148キロだったそうです。1980年まで10年間プレーし奪三振王2回、107勝71敗で引退したのですが、血栓があって腕がしびれていたのに無理に投げ続け、脳血栓の発見が遅れ選手生命を失ったということでした。今は牧師になっているとか。「こんな新人がいるのが大リーグ」と驚き、今も印象に残っているのです。
話のコントロールが乱れて、だいぶ広がってしまいました。けれども大谷の160キロ超の速球はスーパープレーですから、いくらでも話を広げる力があります。ファンの間でも記憶にある歴代速球投手と大谷とを比べて楽しい話題になったと想像します。私も、大リーグで問題になっている投手の故障のこと(田中マー君もその中に入ってしまいました)、野茂のような故障と無縁の投手のこと、速球に対する打者のこと...様々に思いは広がりました。
機会を見ながら話していくことにしましょう。
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