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第61回
我が野球観が生んだ「トリプル・3」とのニアミス
「野球とは、選手がチームの一員としてプレーする個人競技だ」と何代か前の大リーグ・コミッショナーは言ったそうです。チーム競技の衣をまとった個人競技。なるほど、と膝を叩きたくなります。その個人成績の話題ですが、今季はセ・リーグ、パ・リーグで同時に「トリプル・3=スリー」選手が誕生しました。ヤクルトの山田(哲人)内野手、ソフトバンクの柳田(悠岐)外野手です。実に13年ぶりの快挙で、史上9人目と10人目にあたります。初の「トリプル・3」選手は65年前の1950年(昭和25年)で、この時もセ(岩本義行さん)、パ(別当薫さん)同時だった...と、目にした新聞記事の再報告です。
「トリプル・3」とは、打率3割以上、本塁打30本以上、そして盗塁が30以上、確実な打撃にパワーがミックスされスピードがある選手の"代名詞"です。
ただしこの英語は日本製らしい。もとは大リーグの「30・30 club=サーティ・サーティ・クラブ」で本塁打と盗塁だけ。これは英語の『野球用語辞典』にでていた、と野球記者OBからの報告です。日本ではこの大リーグの言葉に、打率を加えハードルを高くし「トリプル・3」、なかなかのネーミングではありませんか。
こんな選手はチームの原動力です。果たしてソフトバンクは独走でパ・リーグを制し、ヤクルトも山田のバットとともに大混戦を切り抜けています。

球場いっぱいに広がったアクションが一点に集中
三塁打こそプロ野球の華
さて、ここで失敗談やら、野球規則解説やら、我が野球観の一端やらを話さねばなりません。
「惜しかったですね。トリプル・3」と言われるのです。1958年(昭和33年)、ルーキーの私は打率3割5厘、盗塁37、本塁打が29本なのです。あと1ホーマーで球史4人目の「トリプル・3」にニアミスでした。でも打ったんですよ30号。日にちも覚えています。9月19日、後楽園球場の対広島戦。鵜狩(道旺)投手から左翼線二塁打、中前安打して迎えた3打席目、遊撃手の頭上をライナーで飛ぶ強烈な当たりです。
ここから、プロ野球の華、売り物は何か、との野球観の表明になります。「三塁打」ですね。打球は大きく外野に飛ぶ、ファンの目がそれを追い、外野手も打球に向かって走ります。打者は全力疾走で一塁を蹴り、二塁を回り三塁に滑り込むわけですが、打球に追いついた外野手が三塁めがけて投げてくる。素早い中継でもいいけれど、中継なしのダイレクト送球ならよりファンを熱くします。スタンドすべての視線が走者と送球を追って三塁ベース上に集まるのです。「セーフ!」球場いっぱいに広がったアクションが一点に集中する、野球のダイナミックな運動の最高のシーンというわけです。

「惜しかった」よりも「面白い」
球史上最も飛んだピッチャーゴロ
実は一塁を回ったとき一塁手の藤井(弘)さんの「あっ」という声を聞きました。打った瞬間から「三塁打だ」と決めて走っているからそのまま突進し、スタンド入りがわかってホームラン・ランニングに減速しホームを走り抜けました。すると一塁の藤井さんが投手の鵜狩さんからボールを取り一塁を踏んで一塁塁審にアピールです。「アウト」。竹元(勝雄)塁審は、スパイクはベースから10センチ近く離れていた、と巨人の抗議にピシャリ。私は『野球規則』でいう「塁を空過した走者」となり、守備側のアピールによりアウトを宣告されました。我が28号の公式記録は「投ゴロ」。ファンを喜ばせようと必死で走った私の快(怪)走は、左中間スタンドに入る投手へのゴロになりました。当時は記録が事細かく報じられる時代ではありませんし、そもそも「トリプル・3」という言葉がありませんから、「お恥ずかしい、次に打ちます」で終わりでした。帰宅途中、石原裕次郎さんの家に寄って球史上最も飛んだはずのピッチャーゴロを打ったバットを置いてきましたが、まき子夫人は今でもそのバットを大切にしてくださっていると伝え聞いています。
「トリプル・3」の誕生はまれですが、記録が生まれるたびに我が失敗がサイド記事で登場するようです。私は苦笑してこう思います。あの試合を観戦した1万8000人のファンは大喜びではなかったか。それも年月が経つうちに「あれ観たぞ」とますます面白さが増して...。「惜しかった」なんて思うはずはありません。
第61回 我が野球観が生んだ「トリプル・3」とのニアミス
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