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第20回
「5月病」の克服には全力でジタバタあれこれやる
今月の言葉に「5月病」があります。若い人たちが親がかりの生活から自立する第一歩を踏み出して一カ月。初体験の仕事のプレッシャーからのストレスに耐えられず「立ちすくみ状態」になることですね。しかし、仕事で壁やハードルにぶつかるのは誰もが経験すること、「病気」とは大げさでしょう。
「5月病」どころか巨人は昨季に続いて「4月病」です。シーズンのスタートでつまずき、地下鉄運行です。私も歳を重ねて忍耐強くなりました。勝率5割になって地上に出てくるまで、批評停止にしよう、と自制しています。
けれども気になっていたことが解消されてもいました。ファンとメディアからの大きなプレッシャーを背負って巨人に加わった移籍選手二人、ソフトバンクから来た投の杉内(俊哉)、横浜(現DeNA)からの打の村田(修一)です。
巨人はそのユニホームの重さから入団する選手に他のチーム以上のプレッシャーがかかりますが、さらに厄介なのはチーム内の「プロの目による評価」と言うストレスの種です。この「お手並み拝見」のハードルの高さ、壁の厚さは、ファンや野球記者が設定しているものよりずっと大きいのです。名門会社、老舗会社の社員が同業他社の社員とは違った眼で見られる、社内の評価基準もそれに従って厳しくなるのと同じ、と言ったらいいでしょうか。
野球技術は評判通りか、過去の実績に上積みできるか、報じられた年俸、契約金に値するか、プレー態度、協調性、人柄は、果てはユニホームの着こなしは・・・と、一緒にプレーする仲間であるからこその物差しで測られるのです。

ベテラン2選手の新環境への挑戦と適応は
二人ともさすがでした。
杉内は試合を支配する気迫が常にみなぎっています。「支配」なんて座りの悪い言葉を使いましたが、英語のコマンダー=司令官=です。大リーグの野球言葉でいう試合の「コマンド=統率力、支配力」ですね。「ダルビッシュは5点取られ試合をコマンド=支配=できなかったが、勝利は得た」と初勝利で書かれたそうですが、杉内は勝敗に関係なく、これが出来ている。
援護なしであろうが、ピンチの場面であろうが、闘志むき出しの攻めのピッチングが全くブレない。小柄なのに(名鑑では175センチ、球界では過大申告が普通ですから、本当はもっと小柄かもしれません)マウンドでは大男の風格です。「背番号18」に「この番号を汚しません」と切った啖呵はダテではありませんでした。
村田に期待するのは長打力でしょう。ところがプレーを観て「おや」と思いました。三塁守備です。打球に対する構え、踏みだし、ステップ、捕球からスローイングへの一連の動きが実にスムーズ、うまいのです。横浜時代にくらべて明らかに進歩しています。バットが売りの選手なのにそのグラブさばきが自然に私の目を引き付け、守備の進歩に気付かされたのです。
想像ですが、二人は共にチーム内外から受けるプレッシャー以上の課題を自分に課していたのではなかろうか。杉内は巨人投手陣で伝統的に重きをなす背番号への責任感、村田は気にもされない守備の向上と。自分で課題を持ってやっているのですから、新しい環境に「立ちすくむ」時間なんてないでしょう。そんな前向きの姿勢は観ていて分かるものです。

壁にぶつかった時の唯一の脱出方法は
「5月病」症状に悩む人の中には、「それは強い、成功した人だから」と言うかもしれません。そうでしょうか。開幕から2試合、6打数ノーヒット、飛んだ打球は内野に2本、ファウルが1本だけ、5三振を同じ投手から奪われた散々デビューの新人がいました。それでもファンからも先輩選手たちからも「ウエルカム・プロ野球」と認めてもらえたのが私です。
1958年(昭和33年)の開幕戦と次の試合で金田(正一)さんにやられたすべて空振りの5三振が、腰を引いたケチな空振りだったら、様子はだいぶ変わっていたかな、と今でも思うことはあります。全力を尽くした空振りは、なまじヒットを打つより訴えるものがあって、認められたと思うのです。
壁にぶつかった時、簡単な脱出法なんてあるはずがない。ジタバタあれこれ全力を尽くしてやる。それが「5月病」の唯一の治療法です。
巨人も大いにジタバタして軌道に乗りなさい。
第20回 「5月病」の克服には全力でジタバタあれこれやる
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