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第16回
富士山のような日本一の男になれ
新しい年を迎えました。しかし、大震災の影はわだかまっています。それで「よい年にしよう」と例年にもまして積極的な気持ちで過ごす覚悟を固めました。弱音を吐いてはいられません。
ところでお正月といえば年賀状、定番のデザインは干支ですが、これは年ごとに替わります。年が替わっても動じない不変の図柄が富士山でしょう。日本一の富士の山、年の初めの今回は、富士山への我が思いをお話します。
わたしは、富士山が大好きです。
日本の主役は富士山。昔から今にいたるまで、和歌や俳句に詠まれ、詩が作られ、小説に書かれ、唱歌で歌われ、絵画、工芸の素材とされ、切手、お札になり(一代前の5千円札の裏が逆さ富士の図柄でした)、さらに酒や食品の名に・・・と、それこそ日本のありとあらゆるものにあの秀麗なお山が登場する。外国でも「フジヤマ」は「ジャパン」の紋章扱い。"日本の主役"なればこそ、です。
立教大学1年生の6月でした。「シゲオ カエレ チチキトク」の電報を受けて、野球部合宿から佐倉の実家に駆け付けました。父の最後の言葉が「野球をやるからには六大学一の選手になれ。プロに行っても富士山のような日本一の男になれ」でした。「富士山のような」に込められた深い意味は、日本人ならあれこれ説明抜きで、すっと心に入ってくるはずです。
故郷の佐倉からは富士山は見えません。それでも幼児のころから富士山の姿は知っていたような気がしています。たいていの日本人がそうですね。
初めて富士山を眺めたのがいつかは憶えていませんが、わたしが大学生のころの東京は高いビルも少なく、特に空が冴え返える冬には富士山が思いがけない場所からも遠望出来ました。そのたびに、父の言葉を思い出し、気が引き締まると同時に、元気をもらったものです。

富士山から受け取る勇気と励まし
選手時代のオフは、富士山を眺めて過ごしました。山籠りの鍛錬の場に選んだのが箱根・仙石原と伊豆の大仁だったからです。それぞれ5年間、17年の選手生活のうち計10年間を富士山に見守られていました。時にホテル、時に山荘、時に旅館と変わっても、どこでも富士山が窓いっぱいに広がる部屋が決まりです。
がむしゃらにバットを振りぬき、山道を走り、鍛えに鍛え抜く冬の日々、朝日を浴びる富士山から一日をスタートする気力をもらい、苦しいトレーニングに息を切らせ、くじけかけた時は、どっしり構えた雄大な山容から勇気と励ましを受け取り、疲れた体を湯船に沈める夕は夕陽に染まる赤富士を眺めることで疲労が消えて、身も心も癒されたものです。
富士山を眺めて、心がしおれてしまう人は、まずいないでしょう。誰もが元気をもらうのが自然ですけれど、わたしにはその思いが人一倍です。富士山に向かい合うたびに、腹の底から大声で叫びたくなってくるほどです。逆さ扇のやさしい姿でありながら、いつ噴火するわからない火山の底知れぬ力強さを秘めているのもたまりません。我がパワースポットなんですね。

日本の宝から世界の宝へ
いつも富士山に接していたい気持ちが高じて、富士山の油絵を描いたことがあります。
燃えるような富士山を中心に色彩の乱舞の絵で知っていた絹谷幸二先生に「ひとつ描いてみませんか」と誘われて、初めてキャンバスに向かいました。
富士山、太陽、裾野のゴルフ場と構図を決めて力いっぱい描きました。絹谷先生の指導と監修を得て我が作品、『新世紀生命(いのち)富士』が完成したのですが、富士山がテーマでなかったら筆は取らなかったでしょう。
富士山画といえば、葛飾北斎から横山大観を代表に、さらにはぐっと大衆的に日本中の銭湯のペンキ絵は年賀状の図柄並みに定番ですね。我が作品も連綿と続く伝統の富士山画に連なりました。気宇壮大になります。
富士山を世界遺産に登録しようという活動が続けられています。大賛成です。日本の宝から世界の宝に、いいですね。実現すれば、さらに元気がもらえそうな気がします。
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