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月刊長嶋茂雄

  • 2013年02月01日 更新
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第29回 松井秀喜との素振りの日々

第29回
松井秀喜との素振りの日々

 ニューヨークの松井(秀喜)から電話がありました。昨年末に「引退します」と言う連絡があってから、ほぼ一カ月ぶり、今度は緊張感もなく明るい声でした。近況報告の雑談でしたが、帰国はしばらくお預け、3月の第一子誕生後になると言います。
 じっくり考え抜いてから行動する松井ですから、私が言うまでもないのですけれど、第二の野球人生(とあえて言わせてもらう)が始まります。「ゆっくり休んで進路を決めなさい」と伝えました。巨人で10年そして大リーグに移って10年、そのうちの7年間がヤンキースでした。日米球界それぞれで最もプレッシャーのかかる2チームで主力打者としてプレーして来たのです。「ゆっくり休んで」は、私なりに「御苦労さま」の思いを込めたつもりです。

写真:長嶋茂雄氏

一対一で過ごした時間が最も長かった選手

一対一で過ごした時間が最も長かった選手

写真:長嶋茂雄氏
 考えてみると私の前後15年間の監督生活で、一対一で過ごした時間が最も長かった選手が松井です。その時間の大半がバットの素振りでした。
 1992年のドラフトで引き当て、初めて対面したのはその年のクリスマスの入団発表の時ですが、がっしりした大きな身体が大学生以上どころか、まるでアメリカンフットボールの選手でした。「巨人を背負って立つ打者になる」とピンときて、すぐに3年計画、千日の素振りをやらせることを決めたのです。調子が良いとか悪いとかは関係なし、とにかくボールを打たない素振り、素振り、また素振りです。もちろん"正規の練習"とは別に、ですよ。我が家の地下室でもだいぶやりましたね。素振りは単純な運動ですが、バットマンの技術のエッセンスであり、土台です。単純だから難しい。ゴルフを楽しまれてスイングに苦労している方はお分かりでしょう。
 バットが空気を切り裂く音が自分の体の右寄りから聞こえるか、正面か、あるいは左寄りか、またビユッという音か、ボワッという音か、その違いでスイングの速さと軌道の良し悪しが判断できます。
 しかし、実は素振りは技術的な面よりも心を磨き、精神を鍛える面の方が大きい、と私は信じています。集中力が養われ、周囲の状況に左右されない揺るがない心を作る...実体験を通じてそう言えます。カタカナのメンタル・トレーニングとは明らかに違います。大リーガーが素振り(振り込みというのが正確かな...)をやるとは、聞いたことがありません。どうやら素振りは日本球界独特の練習のようです。日本野球の先人たちが始めた素振りには剣道の伝統が影響していたのかもしれません。ならば心を鍛える練習になったのは自然のことです。

松井の印象は常に「前に」、「前に」

松井の印象は常に「前に」、「前に」

写真:長嶋茂雄氏
 話が松井から外れてしまいました。当時の松井の印象を一言でいえば、常に「前に」、「前に」でした。そして自分の考えをしっかり持っている。こういう選手には教えるのが難しいのです。今様の若者は言われたことはすぐ器用にこなします。松井は一振り一振り考えた上でのスイング、時間がかかるというのではありませんが、器用なマニュアル消化でなく、自分の考えでかみ砕いて手作りで積み上げていこうとするのが観ていて分かりました。バットを振るうちに二人の間の空気が煮詰まってくる。宮本武蔵の『五輪の書』に「千日の稽古を鍛(たん)とし、万日の稽古を錬(れん)とす」なんて名フレーズがありましたが、そんな緊張感いっぱいの充実した時間を過ごせました。

 日本でプレーしてくれたら、とのファンの声は多いでしょう。けれども松井自身が設定する"松井のプレー"は、ファンの「まだ、20ホーマーぐらいは打てるはず」という種類の"暖かい期待"を許さないのです。日本人の好きな、名を惜しんだ引き際でした。
 アメリカでの松井の評価はどんなものだったのか、引退に際しての報道を教えてもらいました。「謙虚な人柄で常にチームを優先する勝負強い打者だった」と言うに尽きていたようです。傲慢とも思える売り込み競争の世界が大リーグの一面ですから、その中で謙虚な姿勢を貫いた松井がいかに好感をもたれていたかが分かります。素振りで磨いた日本人の良さを示したと言いたいところです。
 さて、「ゆっくり休んで」と伝えた私ですが、「ゆっくり」は1年間、そして指導者として球界に復帰してほしいと思っています。復帰する場は、もちろん巨人です。

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第29回 松井秀喜との素振りの日々

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