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月刊 長嶋茂雄
> 第28回 年のはじめに思うこと

第28回
2012年のグッド・ニュース
新しい年を初詣でスタートした人は多いでしょう。
昔からの習慣を大切にしたい私などは、「よし、行くぞ」とばかり成田、川崎、箱根と一気に初詣に走り回った年もあります。「良い年になりますように」と祈りますが、そのたびに「良い年にするぞ」と誓っている自分に気がつきます。
祈る者それぞれが自分の目標に向けて「しっかりやります。見守ってください」と神前で約束する、それが初詣でしょう。前の年の反省を胸に、気持ちをリセットして新しい年に踏み出す儀式、初詣は単なる"神頼み"とは違います。
ここで、考えました。本屋の店頭にはリーダーに関する本があふれているようです。世の中の閉塞感はリーダー不在のため、リーダーが機能していないからだ、という不満がわだかまっていることによる「リーダー待望論」の表れかも知れません。"神頼み"ならぬ"リーダー頼み"の流行?
何だか、不振の選手が「監督のダメ采配で思うようにプレーができなかった」と不満を口にし、アマ選手が大リーグに行くと「コミッショナーが何もしないからだ」と言いだす球界と重なるな、と苦笑します。皆がストレス発散のサンドバッグがわりにリーダーを叩いている気配です。
野球は緊密なチーム・スポーツですから、選手個々の責任はチーム全体の中で薄められて、トップの監督だけに責任を問い掛けやすい面もあるでしょう。けれどもそれが安易な"リーダー頼り"、"監督頼り"に流れるとしたら、気に入りません。チーム・プレーに名を借りて、監督からの指示待ち選手ばかりでは、プロ野球の華々しさがなくなってしまいます。

チームが認める、チーム・プレーを越えたプレー
今年の球界最初の大きなイベントは3連覇を目指す3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)です。発表されている代表候補34人、顔ぶれを見渡すと投打とも実力者がずらり、文句なしです。けれども優等生ばかりだなあ、規格外れの選手がいないなあ・・・と思わないでもありません。私には、そのあたりが少しばかり物足りない。
「いや、それは監督采配のラチ外、チーム・プレーを超えてプレーして来た人の贅沢な見方」と言われそうです。だが、采配外でプレーする自由は、始めから監督が与えてくれたのではなく、自分で切りひらいて獲得した自負があります。
敬遠のボールを打ったり、ノーサインのホームスチールを試みたり、遊撃手の捕るべき打球を三塁から飛びだして横取りしたりしていました。しかし、自分勝手なわがままプレーではありません。こんなプレーの積み重ねが「自由にやらせた方がチームにプラスになる」と監督が許し、チームがそれを認めてくれたのです。
チーム・プレーの重要さは承知しています。チーム・プレーはゲームの柱ですから、それを誠実にこなす選手に敬意を払ってもきました。そんなチームの仲間に私の"自由なプレー"も支えられたからです。ただ、野球は、チーム・プレーだけではなさそうだ、と言いたいのです。采配のラチ外のプレーがチーム全体を活気づかせ、ファンを熱くさせるからです。
そもそもWBCの代表候補選手にそんな選手が見当たらないため野球機構は日本球界の"ラチ外"にいるダルビッシュやイチローの参加を求めたのでしょう。
けれども私はあきらめてはいません。特別な舞台でブレークしてくれる選手がきっと出てくると期待します。まだ未完成の逸材、指が骨折したまま日本シリーズでプレーしていた中田翔(日本ハム)あたりはどうかなあ。ファーム時代はずいぶん規格外れのようでしたし・・・。

指示待ちにならず自分の目標に向かって進む
かつて名門大学の学長出身の大リーグ・コミッショナーが野球とは「チームの一員としてプレーする個人競技」と定義したそうです。「個人競技」とは唸りますね。私の采配ラチ外のプレーも、この言葉のなかに含まれるようです。
「野球は人生そのものだ」と言う我が持論に従えば、リーダーからの指示待ちにならず、自立した私たちそれぞれが初詣で誓った自分の目標に向かって進むことが世の中の元気につながる、と思いたいのですが、どうでしょう。
もちろんリーダーには監督同様、全体を導く適切な青写真を描き、それに沿った舵取りに手だてを尽くしてもらわなければなりません。
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