セコムグループの歩み
セコムグループの歩みをご紹介します。
日本の社会に「安全産業」を興す
わが国初の警備保障会社、日本警備保障(株)を創業した飯田亮と戸田寿一は、創業の前年、ヨーロッパから戻った共通の友人から、「欧米にはセキュリティ会社があり、警備という仕事がある」と聞き、まだ日本にない新しい事業であることから創業を決断しました。
1962(昭和37)年7月7日、東京・芝公園にオフィスを設け二人で創業しましたが、飯田自らが営業に回ってもなかなか契約につながりません。それは、警備料は「3カ月前納」「前払い」の条件付で、「知り合いに頼らない」という営業スタイルを貫いたからでした。
ご契約先が徐々に増え始めた時、東京オリンピックの選手村などの警備を受注し話題になりましたが、人的警備だけでは多くの警備員を擁することになり発展がないと考え、1966(昭和41)年、日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を開発しました。
当初契約は伸び悩みましたが、1969(昭和44)年に「SPアラーム」が108号連続射殺魔事件の犯人逮捕のきっかけとなったのを機に、急成長していた巡回警備を翌年から廃止して「SPアラーム」を拡大。緊急発進拠点の増大、コントロールセンターの拡充、CSS(コンピューター・セキュリティ・システム)化などで、1970年代から普及が進みました。
特に、高いセキュリティグレードが求められる金融機関向けには店舗のみならず、CDやATMの開始時にいち早く専用の安全システムを開発。現在では店舗、オフィス、工場、学校、病院、美術館などあらゆる形態の施設に安全システムを提供しています。また大規模施設向けにはトータル安全管理システム「セコム3」(現・「トータックスZETA」の前身)を開発するなど、あらゆる施設を対象に常に先駆的な取り組みを行ってきました。
1962年(昭和37年)

7月7日、創業者・飯田亮、戸田寿一が日本初の警備保障会社として日本警備保障(株)(現・セコム(株))を東京・芝公園で創業。巡回警備、常駐警備を開始する。
1964年(昭和39年)

10月、東京オリンピックの選手村などの警備を担当。前年12月から警備を開始し、社会から高い評価と信頼を得て、飛躍のきっかけとなる。
1965年(昭和40年)

4月から当社をモデルにしたテレビドラマ「ザ・ガードマン」がスタート。宇津井健さん主演で大ヒットし、当社の知名度が一躍高まることになる。
1966年(昭和41年)


6月、日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を開発、サービスを開始。ご契約先に防犯・防火センサーを取り付け、通信回線を通じて当社が24時間遠隔監視。異常が発生すれば緊急対処員が駆け付ける。
1967年(昭和42年)

9月、独自の現金護送車を完成、銀行に初の現金護送サービスを開始する。
1969年(昭和44年)

4月、「SPアラーム」が108号連続射殺魔事件の犯人逮捕のきっかけを作り脚光を浴びる。9月にはこの功績に対して、西独(当時)ミュンヘン市で開催された国際警備連盟でゴールドメダルが授与される。
4月、東京都港区赤坂の三会堂ビルに本社を移転する。
1970年(昭和45年)
3~9月、大阪府吹田市で日本万国博覧会(大阪万博)が開催。建設現場警備から2年1ヵ月に渡り無事故で警備を行い、重責を果たす。
5月、オンライン安全システムの機器の設置工事を行う日警電設(株)(現・テクノ事業本部)を設立する。
7月、東京・晴海に本格的な中央管制センターを開設。併せて全国18ヵ所に管制センターを新増設、「SPアラーム」拡大体制を整備する。
1972年(昭和47年)
2月、札幌オリンピックが開催。会場周辺の警備を無事故で行い、重責を果たす。
1973年(昭和48年)
2月、新ブランドに「SECOM」(セコム)を制定。SECOMはSecurity Communicationを略した造語で「安全情報科学」の意味を当てる。この年、緊急対処員を「ビートエンジニア」と称して運用する制度も開始する。

3月、大規模施設向けのトータル安全管理システム「セコム3」(現在の「トータックスZETA」の先駆け)を発売する。


8月、米国で最も先進的と言われたハンティントン・ナショナル銀行と無人銀行システムの安全システムで相互提携する。
1974年(昭和49年)
4月、わが国初のCD(現金自動支払機)の安全管理システム「CDセキュリティパック」を開発し発売する。
6月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場。
7月、ハロンガスによる二次災害を防ぐ画期的な消火システム「セコムFa2」(現在の「トマホークⅢ」の先駆け)を開発し発売する。現在は地球環境を守るため、オゾン層に影響のない新ハロンガスを使用。
9月、横浜市青葉台に最初の自社専用の研修所「セコムHDセンター」を開設する。
9月、防災業界のトップ企業、能美防災工業(株)(現・能美防災(株))と業務提携を行う。
1975年(昭和50年)

3月、東京・晴海のコントロールセンターで世界初のCSS(コンピュータ・セキュリティ・システム)が稼働。異常発生時に管制卓のモニターに異常が表示されるようになり、安全性向上と業務の効率化が飛躍的に進展する。
1977年(昭和52年)
7月、東京電力(株)、関西電力(株)、中部電力(株)と当社の4社合弁で、原子力施設に関する科学防護システムの研究開発、科学防護機器の設計、施工、保守点検などを業務とする日本原子力防護システム(株)を設立する。

10月、宮城県白石市にセコム工業(株)を設立し、オンライン安全システムを構成する機器の自社生産を開始する。
1978年(昭和53年)
1月、台湾の中興保全股份有限公司(現・中興保全科技股份有限公司)と業務提携を行う。台湾で初のオンライン安全システムを提供、本格的な海外進出を開始する。
5月、東京証券取引所市場第一部に昇格。
6月、東京都新宿区西新宿の新宿野村ビルに本社を移転する。
11月、東京都世田谷区八幡山に「セコムSDセンター」が竣工する。東京エリアのオンライン安全システムを集中監視する東京中央コントロールセンターなどの施設として、世界的水準の安全のモデルビルとして建設。
1979年(昭和54年)
1月、大型施設設向けのトータル安全管理システムとして「トータックス(Ⅰ、Ⅱ、EC)」シリーズを開発し発売する。
3月、安全を中心とする科学技術の研究開発助成、普及啓発などを目的に財団法人 セコム科学技術振興財団を設立する。
7月、東京都武蔵野市に技術部門の拠点として「セコムEDセンター」(現在の技術開発本部の先駆け)を開設。本格的に自社開発を推進する。
1980年(昭和55年)
8月、金融機関のATMの運用・管理を行う「ハンクスシステム」を開発し発売する。