自宅での看取りが当たり前に?「そのとき」のために今、すべきこと

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自宅での看取りが当たり前に?「そのとき」のために今、すべきこと

こんにちは、セコムの武石(たけいし)です。

どのような最後を迎えたいのか希望を聞いておきましょう。内閣府が55歳以上の方に行った調査によると、「自宅で最期を迎えたい」と希望する方が半数を超えているそうです。
ところが、実際は病院で亡くなる方が多くを占めています。

自宅の受け入れ体制や治療との兼ね合いで、ご本人の願いをかなえてあげられなかった...というご家族を私もたくさん見てきました。

高齢者の人口が増えるこれからは、少し様子が変わってくるかもしれません。
介護を受ける場所や医療の選択肢が増え、ご本人が望む「最期の迎え方」をサポートする体制が社会的に整えられつつあるのです。
同時に、「どのように最期を迎えたいのか」というテーマと向き合う必要が出てきています。

介護は、十人十色。
最期をどうのように迎えたいかも人それぞれ。

悔いなく納得して「そのとき」を迎えるためには、ご本人や看取るご家族が考えておかなくてはならないことがあります。

「どのように最期を迎えたいのか」というテーマは、死を間近にひかえた方のためだけのものではありません。むしろ元気なときから考えはじめることが大事なポイントです。

ぜひどなたにもご一読いただきたいと思います。

● 「どのように最期を迎えるか」は自分で決められる
死は誰にでも訪れるもので、死を避けることはできません。
亡くなり方は、老衰で穏やかに亡くなることもあれば、病気や事故により死を迎えることもあります。
衰弱と回復を繰り返しながら少しずつ死に近づくこともあれば、急変などで突然、亡くなることもあるのです。

死が避けられない一方で、医療は進歩を続けてきました。
痛みを和らげたり、延命したりする方法も向上していますし、自宅でも終末期医療や緩和ケアを受けられるようになってきています。
看取りが可能な施設やケア付き住宅なども増え、病院以外にも「最後を迎える場所」の選択肢は今後、ますます広がっていくでしょう。

「死に方」は選べなくても、「どこで、どのように最期を迎えるのか」を選べるということ。
地域包括ケアシステムが拡充していけば、自宅で家族に見守られながら穏やかに最期を迎えることも、特別なことではなくなります。
ご本人にとって最適な選択ができると良いですね。


● 望みどおりの「最期」を迎えることの意義
終末期には、延命治療や先進医療を受けるかどうかなど、重大な決断を迫られる場面が何度か訪れます。
決めるのはご本人ですが、正常な判断ができる状態にあるとは限りません。
言葉を発せられない、意識がないなどの理由で意思を伝えられないこともあります。

ご本人にかわって重大な決断をするのはご家族です。
ご家族がご本人なら「こうする」という推定のもと決断するのです。
「どのような選択をするのが正解なのかわからない」、「元気なときに本人の希望をちゃんと聞いておけば良かった」という切実な思いを何度も目にしてきました。

心理的な負担はあまりに重く、どんな選択をしても「本当にこれで良かったのだろうか」という思いも残り続けます。
後悔や罪悪感で大切な人の死を受け入れることができず、喪失からなかなか回復できずにいる方もたくさんいらっしゃいました。

ご本人の願いを知り、できる限り望むとおりの最期をかなえることは、ご本人のためだではなく、遺(のこ)されるご家族の救いにもつながると私は思います。


● 「意思決定」の指針を覚えておきましょう
終末期にご本人の意思を尊重するために、厚生労働省でも「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表しています。

・医療やケアの選択は、本人による意思決定を基本とすることが重大な原則
・本人の意思確認ができない場合は、家族が推定する本人の意思を尊重する
・家族が本人の意思を推定できない場合は、本人に代わる者が家族等と繰り返し十分に話し合う
・家族等がおらず、判断を医療・介護チームに委ねる場合は、本人にとって最善の方針をとる

判断の基準は、あくまでも「本人の意思」です。

たとえば、娘として「お父さんに1日でも長く生きてほしいから、点滴をする」と決定することはできません。
「私は1日でも長く生きてほしいけれど、お父さんならきっとこうすると思う」と父親の価値観や考え方から結論が導き出されます。

ご本人は「延命治療はしたくない」と言っていているのに家族が反対してかなえられなかったり、悩み抜いて決断したことが、兄弟姉妹や親戚から「なぜそんなことをしたんだ」と責められてしまったりするケースもありました。

死はあくまでもその人のものです。と同時に、その人の死は家族や身近な人にも大きなインパクトを与えるものですので、どうしても周囲の人の都合や感情も絡み、難しい問題となってしまいます。
最期をどう迎えるのか、もっと真剣に考えねばならないのではないでしょうか。

医療関係者や介護スタッフなどを交えて、これから起こるかもしれない心身の変化や、その場合の医療や介護の選択肢についてあらかじめ話し合う「アドバンス・ケア・プランニング」という方法があります。
万が一のとき、自分が望む生き方や治療の選択ができるようになるための準備として、正しい医療情報をもとに考えたり、ご本人や家族が話し合ったりする機会を得られます。
イメージがわかない方や悩んでいる方は、アドバンス・ケア・プランニングの一環として、かかりつけ医や訪問看護師などに相談してみるのもひとつの方法です。


● 日頃から「最期」について話をする
ご本人が「最期について」周囲に伝えることが大事ですが、人の気持ちは時間の経過や経験によって変化するもの。
一度決めたら終わりではなく、気持ちが変わったときにアップデートできるよう、折に触れて繰り返し話し合い、考えを深めていくことが大切です。

たとえば、食べられなくなったとき、胃ろうや、点滴はするか、それとも口から食べられるときだけ食べ、あとは自然に任せるのか、人生の終わりが近づいたとき、会っておきたい人、知らせてほしい人はいるか...など繰り返し話し合いましょう。
もしかしたら、「絶対に会いたくない人」「お葬式に来てほしくない人」だっているかもしれませんね。

話し合いを繰り返していると、昔のできごとを思い出したり、ご自身でも気づかなかった死生観を発見したりすることもあるようです。

最近は「エンディングノート」でご自身の意思を表示する方も増えました。
秘めておくよりも、家族の中でオープンにいろいろな話をしながら書き進めたほうが、「最期の迎え方」の想いの摺合せができるのではないかと思います。

「最期」を考えはじめるのに、早すぎることはありません。
年齢にかかわらず誰もがいつ、死を迎えるかわからないのですから。

もちろん要介護の方や、認知症の方でも、遅すぎることはありません。
話ができる状態なら希望を聞くことはできますので、「どうせわからない」と諦めず、きちんと向き合うことが大切です。
まずは「こういうときは、どうしたい?」と聞いてみることが第一歩です。

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