在宅介護で考えておきたい「歩く」意義

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在宅介護で考えておきたい「歩く」意義

こんにちは、セコムの武石(たけいし)です。

前回は、在宅介護における歩行介助のポイントをご紹介しました。
コツを知っていれば、安全に歩行介助を行うことも可能です。
歩行の機会を増やしていけると良いですね。

一方で、「歩行」はあくまでも移動手段のひとつだということも、理解しておかなくてはなりません。
車いすでの移動が、悪いわけではないのです。
身体状態や住居環境、介護体制など、何かしらの原因で歩行が困難な場合は、ご本人にとって最適な移動手段は本当に歩くことなのかどうかを考えてみることも大切です。

そこで今回は、要介護の方にとっての「歩くことの意義」をまとめます。

● 「転ばせたら大変なことになる」にとらわれる介護家族
自分の足で歩く、ということは、移動の自由があるということです。
他者の手を借りることなく、自分の意志で、好きなときに好きな場所へ行ける。
このような「自由」は、人としての尊厳です。

しかし、歩行に不安があると、家族をはじめ周囲が過剰に心配してしまうことが多いようです。

「転んだら寝たきりになる」
「ぜったいに転ばせてはいけない」

こんな思い込みから、移動時に手を貸しすぎたり、自分で動こうとするのを止めたり。
「私がやるから、そこでじっとしていて!」なんて言葉を言ったことはありませんか。

家族として心配するからこそ安全を優先してしまいがちですが、その親切心や思いやりが「自分の意思で欲する場所へ行き、欲することをする」という自由やご本人の意思を損なっているかもしれません。

「転んでも、はってでも、自分で動きたい!」という思いを強く持っている方もいます。
そんな方は、たとえ歩行が不安定で転ぶリスクが高くても、止める権利は誰にもないのではないでしょうか。

「危ないからやらせない」ではなく、ご本人の思いを叶えるためにどんなサポートが必要なのかを考えてみましょう。


● 「転んだら何が起きるか」もイメージしておく
要介護の方に限らず、転ぶリスクは誰にでもあります。
子どもでも、身体能力の高い若者でも、100%転ばない保障はありません。
ただし、ご高齢の要介護者の場合、転倒すると重大なけがを負う可能性が高いことは否定できません。
ご本人をよく見ていると普段、床や椅子から立ち上がってトイレ等に行く際、テーブルにつかまって、戸棚や壁につかまって・・と、無意識に何かにつかまって歩いていると思います。

ご家族としてできるのは、それを把握し、万が一に備えてできるだけ安全性を高めておくこと。
転倒したときの衝撃を和らげる介護用ズボンや、クッション性の高い床材などを取り入れるのもひとつの方法です。
杖や歩行器、手すりなど福祉用具を取り入れて、転倒リスクを軽減することも必要でしょう。
身体状態や歩き方の癖などによって適切な手段が変わりますので、リハビリや福祉用具の専門家とよく相談することが重要です。

また、もしも転倒したとき、どんなけがが予測されるのか。
治療にはどれくらいかかるのか。
回復が難しい場合、最後はどうなるのか。
かかりつけ医などに話を聞いて、転倒事故が起きた後の介護生活をイメージしてみましょう。
介護に必要な時間や労力も変わってきますので、移動手段の選択は介護するご家族の事情も考慮するべきです。

「寝たきりになったら介護はできない」と思うなら、できるだけ転倒の少ない移動手段や暮らし方を優先し、ご本人に少し我慢してもらう場面があっても仕方ないと思います。
介護する方のキャパシティーを超えてしまったら、在宅介護そのものが成り立たなくなってしまいます。

本当に大切なことは何か。
絶対に避けたい事態はどんなことか。
先々のことまで想像して、何を優先するかを考えてみましょう。


「歩行」は、移動のための手段。移動した先にある「目的」を実現することが大切です。ご本人にとって最適な移動方法を検討しましょう。● 「移動の自由」は歩行だけではない
「歩行」は移動手段であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
着目すべきは、移動した先にある目的は何か?ということ。
歩けることは、それ自体に価値がありますが、目標や目的を実現するためには、歩行以外の方法にも目を向けがほうが良い場合もあります。

過去に実際にあったエピソードです。
自力で歩くことが困難で、回復の見込みがない方でしたが、ご家族は「トイレくらいは歩いて行けるようにがんばろう」という方針でした。
当然、手厚い歩行介助が必要になりますが、ヘルパーが訪問するのは数時間おき。
その間、ベッドに横たわっておむつをして濡らして待っているしかありませんでした。

ご本人は頭もはっきりしていて、自分の意思で排せつする力も残されていたので、ヘルパーさんが来るまでなすすべもなく待っているのは、非常に切ないことだったと思います。
車いすがあれば、自分でトイレに行くことができ、おむつに頼る必要はなかったのです。

こうしたケースの場合、歩くこと自体に重要な意義があるわけではなく、ご家族やヘルパーが不在の間、トイレを我慢せずに済んだり、自分で欲しいものを取りに行けたりすることのほうが、価値があることだと言えます。

歩行を、「移動の自立」と読み替える考え方も必要だと思います。
場合によっては、車いすや福祉用具を活用したほうが、ご本人の尊厳が守られ、自由が得られることもあるのです。

「歩く」という行為にのみ注目するのではなく、もっと広い視野で移動の意味を考えてみてください。
もしかしたら、今とは違う介護生活が見えてくるかもしれません。

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