誰もわかってくれない介護のつらさをどうするか?ギリギリからの解放
こんにちは、セコムの武石(たけいし)です。
しっとりとした空気に時折、かぐわしい花の香りが混じり、やはりもう春なのだなと感じる今日このごろ。
季節はまたひとつ巡ろうとしています。
「言うことを聞いてくれない」
「優しい気持ちになれない」
在宅介護は思うに任せないことの連続。
行き場のない怒りを抱え込んだり、先の見えない「今」に苦しんだりしている方も多いでしょう。
これまでも在宅介護の現場で、ギリギリの状態にまで追い詰められた方をたくさん見てきました。
在宅介護のストレスと複雑な感情が相まって、衝動的に相手を傷つけてしまう方もいます。
我慢に我慢を重ね、最後は介護から逃げ出してしまった方もいます。
親だから、パートナーだからこそのつらさ、悲しみの深さは、いかばかりだったでしょうか。
今回は、私が在宅介護現場で体験したエピソードを交えながら、一人で抱え込みがちな介護の苦しみと、どのように向き合ったら良いかをまとめます。
うまくいかない介護に苦しんでいるのは、あなただけではありません。
少しでも心を軽くしたい方は、どうかこれからつづる言葉に、耳を傾けてください。
● いちばん近くで介護をする人の心の内
上手に介護ができない自分。
優しくできない自分。
大切に思っているはずの父、母とうまくやれない自分。
相手に対する苛立ちを抱えながら、心の奥では「こうありたい」と思う自分とかけ離れている現実に苦しんでいるのではないかと想像します。
私が訪問介護に入ったご家庭のエピソードです。
重度の認知症女性の介護をするご家庭でした。
服の袖の下でまるまっていた肌着を私が直したときに、介護者である息子さんが「僕はそういうところに気が利かなくて、ダメなんだよね」と悲しそうにつぶやいたことが思い出されます。
重度の認知症である母親の介護に根気よく向き合っていました。
仕事をしながらの介護で、行き届かないところもあったかもしれませんが、介護者として、息子として十分な役割を果たしていたと私は思います。
しかし、あるとき突然、息子さんは失踪してしまいました。
「うまくできない自分」に悩み、ギリギリのところで苦しんでいたのかもしれません。
この出来事を思い出すたび、あのときの言葉、「僕はそういうところに気が利かなくて、ダメなんだよね」というあの言葉の重みを痛感します。
ときどき、「ヘルパーさんのように上手にできなくて...」とおっしゃる介護者の方がいますが、私たちは介護のプロです。短い時間で素早く適切に介護できるのも、優しい言葉をかけながら介護できるのも、人間関係を維持して気をつかえるのも、それを仕事とするプロだからなのです。
けれども、介護されているご家族は違います。
とても長い時間を一緒に過ごし、人間関係に苦しみ、在宅介護の重荷を背負っているのです。
ヘルパーとは違います。
優しくできないことがあって当然ではないでしょうか。
怒鳴ってしまったり、冷たく突き放してしまったりすることがあるかもしれません。
どうか、自分を責めないでください。
● 相手を傷つけてしまうのは、追い詰められているから
介護の苦しみの根源は、「報われない」ということにあるのではないかと思います。
どんなに自分を犠牲にしても誰からも褒められない。
感謝の言葉もない。
良かれと思ってしたことが、受け入れられない。
献身的に介護しているのに、ひどい言葉をぶつけられることさえあります。
私が出会った在宅介護家族のエピソードです。
思わず相手に手をあげてしまうことを繰り返し、苦しんでいる方がいました。
力の暴力、言葉の暴力。
もちろん、どちらもあってはならないことです。
しかし、そこに至るまでには、介護のつらい葛藤があったのだと思います。
誰だってそんなこと、したいはずありません。
自分の時間を減らしてでも介護が必要な家族のために、一緒に暮らす在宅介護を選んだのです。
同じように介護で苦労している友人や、介護チームのヘルパーなど身近な人に苦しい思いをうちあけてみてはいかがでしょうか。
理解してくれる人は、必ずあらわれます。
自分ももっといたわってあげてください。
● 「○○しなくてはならない」にしばられていませんか?
どなたにでも、「こうあってほしい」と思う介護のカタチがあると思います。
介護される方と心を通わせあい、笑顔でいろいろな話がしたい。
シーツや衣服はいつも清潔で、食事は朝昼晩バランスよく、あたたかいものを食べさせてあげたい。
やるべきことをテキパキと進め、スケジュール通りにものごとを進めたい。
...こんな介護が実現できたら、忙しくても充実した日々だと感じられることでしょう。
しかし、実際の在宅介護は、「こうあってほしい」の通りにはいきません。
排せつの失敗や、子どものように聞き分けのない姿と向き合うこともあります。
認知症の方ですと、社会常識やルール、道徳や善意が通じず、介護する方が大切にしてきた価値観や考え方が踏みにじられたように感じることもあると思います。
たとえ大切な家族でも、自らのアイデンティティを傷つけられれば、怒りや憎しみなどネガティブな感情が芽生えても不思議ではありません。
それは、心の防御反応であって、あなたが悪いわけではありません。
また、「○○しなくてはならない」という固定観念にしばられるほど、介護は苦しくなります。
怒ってはいけない、おむつが汚れたらすぐ変えなくてはいけないなど、無意識のうちにつらい義務を自らに課していませんか。
介護を受ける場所が「自宅」であるのですから、「こうでなくてはならない」というものなど、在宅介護にはひとつもありません。
在宅介護は十人十色です。
長く続けていくためには、無理は禁物。
「ちょっと悪かったかな」「少し手抜きしてしまったな」と思うくらいの介護が、ちょうど良いのではないかというのが私の持論です。
在宅介護は、いつまで続くかわからない日常生活。
すべてが完璧である必要はありません。
たとえ赤点ギリギリの介護でも、続けることに意義があるのです。
● 在宅介護で自分を守るためには、嘘も必要
在宅介護をしていれば、この先、病気の進行や怪我があるかもしれませんし、終末期が近づけば、介護に全力を注がなくてはならない場面も出てきます。
肝心なときに100%の力を発揮するためにも、普段はできるだけエネルギーを温存しておくことが大切です。
食事が菓子パンになってしまう日があっても、お風呂に入れられない日があっても良いと思います。
「仕事がある」と嘘をついて、ひとりで遊びに行くことがあっても、良いではないですか。
在宅介護において、自分自身を守るためには、嘘も方便です。
「今」がどうしても苦しく、逃げ出したいときは、どうぞ遠慮なく介護をお休みしてください。
ケアマネジャーに相談すれば、デイサービスやショートステイなど、介護から離れる時間をつくることに協力してくれるはずです。
もうすぐ桜の季節。
ヘルパーさんが来ているときは、その場をすべて任せて公園などをひとり散歩してみてはいかがでしょうか。
春のあたたかな日差しを感じながら花々の美しさを眺めていたら、気分も変わるかもしれません。
たとえ少しの時間でも、介護から離れることで気持ちが癒やされ、優しく接することができるようになる方も多いのですよ。
私たちは、いつでもあなたの味方です。
苦しいとき、悲しいときは、このブログに遊びに来てくださいね。