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1966年 日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を開発
東京オリンピックが閉幕して間もない1964 年11月、創業者2人は、"遠方通報監視装置"の製作を依頼するために、東京都八王子市にある芝電気(現・日立国際電気)八王子工場を訪ねました。その装置は2年後に完成する、わが国初のオンライン安全システム「SPアラーム」の試作機でした。
東京オリンピックの警備で知名度が上がり、巡回警備や常駐警備の契約件数が急カーブを描いて伸びていたこの時期に、「SPアラーム」の開発に取り組むことにしたのはなぜでしょうか。
1つ目は、警備のご契約先がこのまま増えていけば、将来、社員は10万人、20万人となり、管理しきれなくなって、警備の質にばらつきが出かねない。
2つ目は、高度経済成長で人件費が上昇していたので、人による警備では警備料金が高くついて、一部のお客様しか利用できなくなる。
3つ目は、機械にできることは機械に置き換えて、判断力や機動力といった人間にしかできないことは人間がやった方が人間の尊厳にかなう、と考えたからです。
完成した「SPアラーム」は1966年に発売しましたが、今日のオンライン安全システムと基本的なしくみは変わりません。ご契約先の企業の建物に侵入や火災をキャッチするセンサーと制御器(コントローラー)を設置。通信回線で管制センターと結び、異常信号が入ると最寄りの緊急対処員が急行するというものです。
この「SPアラーム」は、その後、有効性が実証されることになります。それは1969 年4月、当時、日本の社会を震撼させた108号連続射殺魔事件の犯人逮捕のきっかけを作ったことです。4月のある深夜、東京都渋谷区のビジネススクールから異常信号を受信。コントロールセンターからの指示で緊急対処員が急行するとともに、通報により緊急配備した警察により連続射殺魔の犯人は逮捕されました。
このように、「SPアラーム」は画期的なシステムだったのです。というのも、欧米ではすでにこの方式が実用化されていましたが、緊急対処員が駆け付けるというサービスはありませんでした。センサーなどの機器を製造する会社、設置工事をする会社、異常を監視する会社が別々にあるだけでした。
このため、セコム方式の安全システムはなかなか理解されませんでした。しかし、今はセキュリティの先輩国である欧米でも「セコム方式」のセキュリティサービスは高く評価されています。今日のセコムは「SPアラーム」から進化したと言えます。
セコム株式会社
コーポレート広報部
最初の「SP アラーム」の制御器
初期の管制センター
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