ホーム > ホームセキュリティ > 月水金フラッシュニュース > 月水金フラッシュニュース・バックナンバー > 1962年 日本の警備の原点、巡回警備、常駐警備サービスを開始
1962年から日本初の巡回警備がスタートしました。巡回警備とは、夜間、セコムの警備員がご契約いただいた建物を3〜5回、不定時に車で訪れ、建物内を点検するサービスです。一時は急速にご契約数を伸ばしましたが、1970 年以降、販売を中止し、オンライン・セキュリティシステムに切り替わっていきました。
また、創業時から始まった常駐警備は、建物に安全のプロフェッショナルである警備員が常駐して行うサービスです。現在、空港などの公共施設や大規模な複合ビルや商業ビル、工場などでご契約をいただいています。
そんな常駐警備の初期の代表的なご契約先が東京オリンピックでした。1963年暮れのある日、東京オリンピック組織委員会から電話が入りました。東京・代々木に建設中の選手村の警備を請け負ってほしいという依頼です。期間限定の仕事であり、大勢の社員を雇わなければならないが、終わったあと果たして社員を養うだけの仕事を確保できるだろうか?と一瞬迷いましたが、契約を結びました。
これが幸運を呼び込みました。警備を開始するや否や、今までにない新しい仕事に対する関心も高く、テレビ・新聞・雑誌がこぞって取り上げ、社名と仕事の内容が広く知られるようになりました。当然、営業もしやすくなり、契約件数も急増しました。オリンピックが終わった後、大役を無事故で果たしたことから、信用も高まり、ホテルなどの契約を取得しました。この年(1964年)、社員も約100名になりました。
しかし、「好事魔多し」です。1966年秋、社員による窃盗事件が相次いで起き、急成長会社としてもてはやされていただけに、マスコミが連日報道しました。飯田と戸田は倒産するかもしれないと思いました。しかし、解約は1件もありませんでした。また、800人いた社員は1人も辞めませんでした。この事件を契機にむしろ社内の結束力は強まりました。
このとき、二度とこうした不祥事を起こさないために、「社章を守る会」が結成され、社員研修に力を入れることになりました。1967年から1年以上にわたって、2人の創業者と社員数十名が週1回、多いときは2回、一人間として一社員としての「心のありよう」「ものの見方・考え方」「行動の仕方」、また「組織のあり方」について徹底的に話し合いました。
この話し合いから生まれたのが、「現状打破の精神」「既成概念の打破」「正しさの追求」などの「セコムの理念」です。これが社員の精神の拠りどころ、行動の規範となり、セコムの成長・発展の原動力となりました。
この草創期の5年間は、セコムの原点として、現在も社員が折に触れて振り返り、自分や会社を見つめ直すよき指針になっています。
セコム株式会社
コーポレート広報部
東京オリンピック選手村の常駐警備
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