ホーム > ホームセキュリティ > 月水金フラッシュニュース > 月水金フラッシュニュース・バックナンバー > 私生活は知られたくない?
カメラとプライバシー
最近、多くの事件が、街に設置されたカメラの画像がきっかけになって解決されるようになってきています。前にも書きましたが、ほんの少し前までは、公の場所に防犯カメラを設置しようとすると、プライバシーへの懸念から、その導入に難色を示す向きも少なくありませんでした。
手持ちの辞書でプライバシーを引くと、「私事、私生活に関すること。また、それを他人に知られず、干渉されない権利」と出ています。人は、本能的に自らのプライバシーに関することを第三者に知られることを嫌います。それでは、なぜ、人は私事を知られることを嫌うのでしょうか?
昔々のこと
まだ歴史が記録されるようになる前、人が狩猟や採取でその日の糧を得ていた大昔の頃を想像してみてください。その当時、人は、親族や、古くから助け合って生きてきたごく親しい人間で集団を作り、木の実や山菜などを集め、また、小動物や魚などを狩って暮らしていました。
人々は、毎日必死になって日々の糧を探し、野山を歩き回っていたことでしょう。その日の食糧を得られるかどうかは、文字通り、日々の命を長らえられるかどうかを決める重要なことでした。このような状況では、食べられる実が成る木や、獲物を得やすい猟場がどこにあるかという情報は、自らの命を左右する極めて重要な情報だったはずです。
この「場所に関する情報」は、他の部族には秘密にしておきたいものの筆頭だったことでしょう。なぜなら、食糧が手に入れられる場所の情報を知られると、それを知った他の部族もそこで採取や猟をするようになるからです。当然、自らの分け前は少なくなります。栄養状態の良くなかった時代は、食糧の分け前が少なくなることは、命が脅かされることそのものだったはずです。
人の持つ相反する本能的傾向
すなわち、日々の糧に関する場所の情報は、自らの、そして家族の命を左右する重要なものだった訳です。これが、人が、他者に行動を観察されるのを、本能的に嫌うに至った理由だと考えられます。自分の行動を第三者に詳細に観察されると、どこで日々の糧を得ているかを容易に特定されてしまうからです。そのため、私たちは「自分の行動を観察され、知られてしまうこと」に関して、忌避感を感じる遺伝子を持ってしまったのでしょう。
また逆に、私たちは「他者の行動を知りたがる」本能的な傾向も持ち合わせています。これについても、他者の行動を知ることによって、どこに食糧があるかという情報を得ることが出来た時代からの本能を引きずっているという理解ができるのではないかと思います。私たち人類は、「自分の行動を知られたくない本能」と「他者の行動を知りたい本能」の狭間で生きている存在であると考えられます。
ガイドラインが必要に
先のコラムで、街に設置された防犯カメラの画像が、多くの事件を解決するようになり、カメラに対する社会の見方がずいぶん変わってきたことについて触れました。社会は「知られたくない本能」と「知りたい本能」の微妙なバランスのうえに成り立っています。まだ、日本社会には、防犯カメラの設置や運用に関する公式なルールやガイドラインのようなものは存在しません。
一方、防犯カメラが、多くの事件解決の決め手になっていることは事実です。防犯カメラに関しては、設置場所ごとにその利害得失を考慮し、周りにいる人々に配慮した運用ガイドラインが必要になってきていると言えるのではないでしょうか。
(参考)
・安心豆知識「見守りと監視の違いとは」
セコムIS研究所
リスクマネジメントグループ
甘利康文
子どもの安全ブログ | おとなの安心倶楽部 |
女性のためのあんしんライフnavi |