ホーム > ホームセキュリティ > 月水金フラッシュニュース > 月水金フラッシュニュース・バックナンバー > 「おめでとう」と「安心」 初詣参りの意味
あけましておめでとうございます。本年も「月水金フラッシュニュース・安心豆知識」をよろしくお願いいたします。今回は年の初めにあたり、「おめでとう」の意味、そして本コラムのタイトル「安心豆知識」にもある「安心」について考えてみます。
明治維新のきっかけとなった松下村塾を興した吉田松陰は「めでたい」は、本来「芽出たい」であって、新年は、新しいいろいろなことが芽を吹き出す一つの節目となるから「めでたい」のだ、と解釈していたと伝えられています。「志を立ててもって万事の源となす」という言葉で人々に志を持つことの大切さを教えた、実に松陰らしい解釈だと思います。
また、家族そろって新しい年を迎えることができたことに対して「おめでとう」を言うという話もあります。「おめでとう」とは、この一年を平穏に過ごすことができた感謝と、これからの一年間幸多かれという祈念を表す言葉であるという説です。実際、初詣で「今年一年の『安心』した生活」を祈念された方も多いかと思います。それでは、人々が初詣で祈念している、「安心した生活」とは一体どのようなものなのでしょうか?
おそらく皆さんは、日本国内で水を飲む際に安心を意識したことは、あまり多くないのではないのではと思います。国内においては浄水設備が整い、水道の水であれば、おいしいまずいは別にして、ある一定の衛生基準を満たしていることを知っているからです。
一方、水道の浄水設備の状況がわからない外国にいる場合はどうでしょうか?人は、水を飲む際に、「安心」して飲めるかどうかについて真剣に考え、安心ではない、すなわち不安であると感じた場合には、安心して飲めるビン入りの「飲料水」を購入して飲むという行動を起こします。
人は、不安を感じる状況に至らない場合は、特に安心を意識することはありません。ここから、安心と不安では、不安のほうが先にある概念であると言えます。安心とは、「不安のない(不安が最小化された)心の状態」と説明できます。実は、私たちは初詣に行って、今年一年の「『不安のない』生活」をお願いしているのだと言えます。
初詣の際に、縁起物として「破魔矢(はまや)」を入手された方も多いかと思います。初詣に行って、不安の源である「魔」を「破り」、安心した日々の生活を送るためのお守りとしての「矢」を授かるという日本古来の習慣からも、何のために初詣に出かけるかの意味が読み取れてくるのではないでしょうか。
セコムIS研究所
セキュリティコンサルティンググループ
甘利 康文
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