「親の老い」と向き合う方法

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「親の老い」と向き合う方法

こんにちは、セコムの武石(たけいし)です。

ちょっとしたきっかけで「食べるスイッチ」が入ることもあります。 久しぶりの帰省。
久しぶりに会った親に「年を取ったなあ...」と感じることがあると思います。

「部屋の掃除や庭の手入れが行き届いていない」
「以前に比べて食事が簡素になった」

昔とは違うところに目がいくこともあるでしょう。
指摘したらアレコレ言い返されて、険悪になってしまった...という話もよく聞くものです。

老いが進む親御さんとどのように付き合っていくのか。
高齢期の変化や心理などが理解できると、今感じているモヤモヤした思いを軽減できるかもしれません。


● 高齢期は「しんどさ」と折り合いをつけることの連続
年齢を重ねれば誰でも身体機能は低下していくものです。
人間の身体機能のピークは30歳前後で、それ以降は緩やかに落ちていくのが通常。
高齢期になると、顕著に身体機能の低下があらわれます。

膝や腰の痛みで、歩行や階段の昇降が「しんどく」なる。
頻繁に立ったり座ったりするのが「しんどく」なる。
高いところに手を伸ばしてものを取ることが「しんどく」なる。

生活動作のあれこれが「しんどく」なってくるのです。
「しんどさ」から、長年の習慣を手放すこともあります。

たとえば、入浴や掃除など、毎日してきたことが高齢期になって数日おきになることは決して珍しいことではありません。

私の母の場合を紹介します。
90歳を超える私の母は、「仏壇のお水とごはんを供える」という毎日の習慣をしなくなりました。
「昔はそんな母ではなかったのに...」とがっかりもしましたが、母が自分で決めたことです。

母の様子を見ていて「手に持ったお水やごはんをこぼさないように歩く」という動作が難しくなっていることに気が付きます。

母の目標のひとつは、「ひとり暮らしを少しでも長く続ける」こと。
「娘である私の手をなるべく借りない」こと。

目標のためにその習慣は「必要なのか不要なのか」、転倒のリスクを取ってまでその習慣は「必要なのか不要なのか」、私の母の場合は、先祖に申し訳ないと思いつつも「毎日のお供え」をしない決断をしました。

高齢期には、「しんどさ」と天秤(てんびん)にかけて要不要を取捨選択しなければなりません。
そのことに戸惑い、がっかりしているのは、ほかでもない本人です。

もし子どもから行き届いていないことを責められたら、つらい気持ちになるのではないでしょうか。

やるに越したことはないけれど、やらなくても困らない。
そういう生活習慣は意外にたくさんあります。

「しんどさ」を押してがんばり続けるより、取りやめたり頻度を減らしたりしたほうが、安全にラクに暮らせるでしょう。
高齢の親と離れて暮らしているなら、親が生活していくために大切なことは何か?を見誤らないようにしたいものです。


● 親は子の提案を簡単には受け入れません
久々に実家に帰ると、親御さんの暮らしぶりを見て「もっとこうすれば良いのに」と思うことはないでしょうか。

物の配置
しまい方
掃除のしかた
服薬管理の方法
食材の買い方

などなど、いろいろなところに目がいくものです。

「こうしたら?」と提案しても、「このままでいい」「慣れているから」と否定されてしまうことがあります。子からしたら「改善提案」であっても、高齢になるとなれた自分のやり方を簡単には変えないもの。

たとえ親子でも、考えや価値観が完全一致することなどありません。
実家を離れて自分の生活が確立されていれば、実家のやり方に違和感が生じるのは当然。
無駄や非効率に見えることも、親御さんにとっては大事なことなのかもしれません。
生命にかかわること以外は、無理に変える必要などないのではないでしょうか。

高齢の親の意見を変えることにエネルギーを使うのは、決して得策ではありません。
「こうすべき」という強い気持ちで対峙(たいじ)するほど、相手はかたくなになるだけです。
言い争いが増えて関係性が悪くなってしまう可能性もあります。

「本人が良いなら、それで良いか」
「どう見ても効率が悪いけれど、放っておこう」
「危なっかしいけれど、仕方ないか」

これくらいの気持ちで、親御さんと向き合ってみてください。
冷たいわけではありません。

相手の意見ややり方に委ねることは、相手を尊重すること。
高齢になるとちょっとした助けや指摘が、できなくなった自分に傷ついたり、腹がたったりすることにつながることも珍しくありません。
「この年になっても自立した生活を送っている」というだけで十分なのだと考えれば、たいていのことは譲る気持ちになれます。

● 「やってあげる」のではなく「私がやりたいからする」
親のために「何かしてあげたい」と思う気持ちは消せるものではありませんよね。
どうしても放っておけないことがあるなら、「親のためにやってあげる」という気持ちは捨てましょう。

「自分がやりたいからする」と考えるのが良いと思います。
私の場合、実家にいるときに重いものを使いやすい場所に運んでおいたり、母の好きな飲み物をまとめて買い足したりするようにしています。

私がいない間に母が困ったり、楽しみを我慢したりするのは、「私が嫌」だからです。
私が母に何かするのは、自分が後悔しないため。
「自分のためにやる」と思えることだけ厳選してやるようにしています。

「親にしてあげたいことがある」。
でも親はなかなか聞き入れてくれないものです。

放置するのものひとつの方法、自分のために行動することもひとつの方法だと思います。
「やってあげたのに」が前提だと反発されたときにモヤモヤした感情が残りますが、「自分のため」なら何を言われても聞き流せますし、優しくもなれるものです。

「老いた親」と「自立した子」のギャップは広がりこそすれ、解消することはなかなかありません。
久々に会った親と感情的にぶつかり合うこともあるでしょう。

「親のため」ではなく、「自分のため」にそうしたいから。
このマインドを忘れなければ、親とのかかわり方や自分の気持ちの保ち方が見つかるはずです。


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