健康予防医療コラム ~その他~

決断のとき

~生きることは決断の連続~

 このタイトルを見て、どんな感じがしましたか? 何か緊張したような、張り詰めたような切羽詰まった状況を思い描いた人はいませんか? さあ、これからどうしようかというような局面や、一か八か誰かが判断しなければ大変なことになるという時代の変革場面のイメージかもしれません。しかし私が今ここでお話しようとしていることは、もっと日常的な個人的な生活場面での一つ一つの決断です。家を買うとき、結婚相手を決めるとき、会社を辞めるとき、取引を決めるとき、それらは人生の決断のときです。でもそんな大きな決断ではなくても、私たちは日常生活でいつも何かを決めています。レストランに入ってメニューを眺めて「どのサラダを頼もうか?どのスープにしようか?」というように、外食をするときにはたくさんの決断が要求されます。今日はどこ遊びに行こうか? 赤いジャケットにしようか、白にしようか?というように、出かけるときにも決断が待っています。日常の買い物でも、何を買おうか?どれを買おうか? 買い物する時にたくさんの決断が要求されます。今日は何時に寝ようか? ホットミルクを飲もうか? すこし勉強してからにしようか?など誰かに決断を迫られる場面ではなくても、毎日の時間の使い方にも細かい決断が続きます。こうして考えてみると、生きることは決断の連続だということがわかります。
  我々は常に何かを決めていかないと一歩も前に進めないのです。しかし、決めるのが苦手な人もいます。「みんないいようにしてくれればいいよ」「あなたが好きなものにするわ」というように判断や選択を委ねていく態度を取る人がいます。しかし、そのような態度を取る人も実は決断しているのです。「自分は決めたり判断したりしない」という決断です。自己主張を控えるという決断です。出過ぎた真似はしないという決断でもあります。そしてそれは、責任を負うのが怖いからという人もいますが、対人関係を円滑にするための周りの人への配慮からという人もいます。
  
 大きなことを決めなければいけないけれど、判断材料が少なく、未来が見えないことがあります。初めての体験で手がかりがないことを選択するときには、勇気がいります。未知のことに挑戦することが好きに人ならワクワクするかもしれませんが、安全を好む人にとっては大きなストレスになりますね。しかし、やはり我々は何かを決めないと生きていくことができないのです。つらいですね。私たちは1日に何回くらい決断して生きているのでしょうか。今日、朝起きてから今までの間どれだけの決断をしてきたか数えてみると分かると思います。相当な回数になると思います。どうせ決断しなければ生きていけないのならば、決断上手になりたいですね。
 私の友人で「反省はするけど後悔しない」ということが口癖の人がいます。反省は同じことを繰り返さないための未来に向かってすることだけれど、過去に起こってしまったことを考え続ける後悔からは何も得られないというのが彼の言い分です。言われてみると納得です。私も最近ではそのように心がけています。実際には「あの時もっと〇〇しておけばよかった」と一瞬思ってしまうこともありますが、「反省するけど後悔しない…」と呟いて気持ちを切り替えています。100%間違いを犯さない人、選択を誤らない人はいません。だからこそ、失敗したなと思った時点で「反省」でとどめておいて、ちょっと深呼吸してから未来に向かって顔を上げて歩いてきたいですね。
  

監修:大多和 二郎 先生
掲載日:2017年03月01日

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