健康予防医療コラム ~その他~

当たり前の奇跡

~「生きる力」をもう一度見直して~

 あなたは毎日が単調で退屈に感じたことありませんか? 「今日も1日いつもと変わらない何にもない日だったなぁ」とう夕暮れ時に思う時、「つまらない1日だったな」そんなつぶやきが口から出てくることがあります。しかし、本当になにもなかったのでしょうか? 朝同じ時間に家を出て、同じ電車に乗って、同じ時間に学校や職場につき、仕事や授業が終わってまた同じような時間に帰ってきたなと1日を振り返ると、たしかに、毎日が同じことの繰り返しのように感じることがありますね。
 ここで視点を変えて、「赤ちゃんが言葉を覚えていくとき」を考えてみましょう。赤ちゃんはまわりから聞こえてくる人々の言葉にじっと耳を澄まします。その人達の表現が何を意味しているのか、自分に何をしてくれるのを態度や表情から捉えて、言葉の意味や発音を学んでいきます。そして自分でも「あー」「うー」と声を出して自己表現を試みます。そして一週間、一ヶ月…というように時間を重ねると、周りの人と話ができるようになってきます。日本人なら日本語、アメリカなら英語です。ところで赤ちゃんは「勉強している」という意識はあるのでしょうか?おそらくないでしょう。あれこれやっているうちに自分の気持の表現の仕方がわかりや、まわりの言っていることがわかってきます。でも、これを成人してから改めて「語学学習」としてやってみると、大変な苦労をすることは、英会話学校に通っている人なら知っていますよね。
  
 仕事でも「業界の習慣」や「職場の雰囲気になじむ」「年齢に相応の立ち居振る舞い」というのは、何をどう学んだのかうまく説明できないけども、たしかに日々の仕事をしながら「学んでいる」のです。「今日何を学んだか言ってみなさい」と言われても全て言葉にできませんね。でも、確実に何かを積み重ねています。小指をタンスの角にぶつけたときとても痛いですね。指先を包丁で切ってしまったり、火傷してしまったりするとズキズキとそこが痛んで眠れないこともあります。こんなにちょっとしたことで傷ついてしまう人間の皮膚が、数ヶ月間傷つかないで過ごせているとしたら、それは大変なことですね。道路でも鉄道でもすごい速さで鉄の塊がビュンビュン走っているのが現代の社会なのです。たとえ数分間でもまわりに注意を払わずに都会の道路をボーっとして歩いていたら、おそらく命はないでしょう。
  ラッシュ時の駅構内の通路を歩いているとき、向こうから人が歩いてくると微妙に距離とその人の歩いていく方向を判断して、ぶつからない方向に避けている自分がいませんか?お互いに相手の方向性を読んで避けています。大きな駅では何百人という人間に対してそれをやっているのですから、よく考えると、人にぶつからないために大変な努力をしているのです。でもそれがあまりにも日常的に行われているので努力をしているという感じがわからないのです。通勤一つとっても、今日も環境に適応するようにたくさんのことを学習して、身の危険を細かく回避してということをやっているのです。交通事故にも遭わず、やけどもせずに1日を終えることができたとしたら、それは偶然ではなく、大変な無意識的努力の成果です。「当たり前」にそれができているのですから、まさに「奇跡」です。自分の「生きる力」をもう一度見直してみてはいかがでしょう。「当たり前の奇跡」その数々を実感できたら、自分をもっと褒めてあげましょう。「今日も1日がんばって生き抜いたね。お疲れ様でした」と。
  

監修:大多和 二郎 先生
掲載日:2017年02月01日

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