健康予防医療コラム ~その他~
悲観的な楽観主義
あなたは自分は楽観的な方だと思いますか?悲観的な方だと思いますか?楽観的な人は、うまくいかない時や辛い思いをした時、「そのうちいいことがあるだろう」または「なんとか解決できるだろう」と明るい未来を描くことができます。悲観的な人は、うまくいかない時や辛い思いをした時、「もっとひどいことになるのではないか」「これからもうまくいかないのではないか」と、事態の悪化を予想します。楽観的な人は常に楽観的で、悲観的な人は常に悲観的なのでしょうか?楽観的な人、悲観的な人がそれぞれずっとそうであるかというと、そうでもありません。辛いことが続いたり、裏切られたりすると、今まで楽観的だった人が慎重になり、時には懐疑的になることがあります。また、以前は悲観的な人だった人でも自分を理解してくれて応援してくれる人に出会うとか、認め合う仲間ができるとか、そのような体験でと以前ほど悲観的な態度をとらなくなります。その違いは性格なのかもしれませんが、環境とその後の人間関係によっても変わってくるようです。私はどうかというと、楽観的な心と悲観的な心の両方を持っているような気がします。「世の中では良い人が多数をしめている」と思っていますし、「誠実さと努力はいつか認められる」と思っています。そういう意味では楽観的になのかもしれません。しかし、目の前の人が辛そうな顔をした時、不機嫌な態度の時などには、「自分が何か嫌な感じを与えてしまったのではないか」と不安になります。自分が人に迷惑をかけているかどうかが気になるところは悲観的なような気がします。
悲観的だとよいことはないかというと、そうでもありません。心配性で不安になっていたとしても、それは「相手への配慮」「気配りとしての対応」として活かしていければ堅実な物事への対処になります。ちょうどオセロゲームのように、「このままではいけないぞ」という機会として心配や不安を利用して、「黒を白にひっくり返して」相手に確認する、丁寧に対応するというという対処に活かすということです。「ああ、怒らしてしまったかな」という心配を打ち消そうとして、「自分は絶対悪くない」と思い込もうとすると、悲観は消えますが、独りよがりや傲慢な態度を作ってしまうことになりがちです。そうすると、本当に相手を怒らせてしまうかもしれません。人は傲慢な人よりは謙虚な人を好むことが多いからです。「もしかしたら自分がいけないのかも…」という時、結果としては、「深読みしすぎだった」ということが多かったとしても、時には当たっていることもあります。そのときには、悲観的な心も役に立ちます。そこで私は、「心配性も自分の一部」として認めることにしました。現代の社会は、経済、政治、自然現象など多くの分野で専門家でもなかなか先が見えにくいと言われています。今後、我々は未来において予想外の事態に直面するかもしれません。しかし、一人の人間ができることといえば、日々の仕事、家庭での日常活動を丁寧に誠実におこなうことくらいでしょう。その一つ一つの場面で、悲観を活かす小さな方向転換で、「配慮、対処」の機会としていけば、悲観した自分もそれを生きるエネルギーとして、未来をつくる力になります。あれっ、そう考えるとちょっと楽観的な気分になりますね。悲観に感謝です。
監修:大多和 二郎 先生
掲載日:2017年01月05日