健康予防医療コラム ~その他~
理屈って?
皆さんの周りには、「理屈っぽい人」いますか? 理屈好きな人もいますが、思考回路が「理屈」になってる人もいますね。たとえば、道端に咲いている花を見て「綺麗だね…」と言うのが感覚的、感性的な人ですが、「この花は○○という植物で、そもそも原産は…」というのが理屈っぽい人ですね。
人のタイプとして物事のとらえ方や、話の仕方が理屈であるか感性的であるかというのもありますが、「理屈」が出てきやすい場面というのがあります。
「言い訳」「弁明」「釈明」などは、トラブルや事件がおこったときに、責任の所在やその程度を説明する「理屈」ですね。子供でも「僕わるくないもん!」と弁明します。すると「言い訳するんじゃ無い!ちゃんと謝りなさい」と、親にたしなめられたりします。自分の立場が危うくなると自分を守るために弁明したくなります。公的な政治家の弁明から、友人関係のけんかの弁明までいろいろあります。その弁明を聴いてみて、「なるほどそうだったのか…」と納得することもありますが、多くの場合、「保身」「責任転嫁」などの匂いがして、あまり気持ちのよいものではありません。
「盗人にも三分の理」という言葉がありますよね。どんな行為にもその背景には理由があるという意味もありますが、悪事であっても理屈をつけようと思えばつけることができてしまうという意味もあります。ですから、納得できない事態で感情的になったとき、まずは、相手の理屈に耳を傾けてもよいと思います。しかし、「屁理屈」の匂いがしたり、「こじつけ」「責任転嫁」が飛び出してくることもあります。しかしそれは逆に人を苛立たせますから、理屈については、その背景の「保身」「逃げ」「おびえ」などの感情があるかどうかよく見極めた方がよいと思います。感情に理屈をつけると屁理屈になります。
「盗人にも三分の理」の第三の意味として、理屈をつけても悪事は悪事であると理解することもできます。理屈ではなく、まず、いけないことはいけないと自戒して、何をしたか事態をみつめましょう。理屈は理解を助けることもありますし、事実をわかりにくくすることもあるので、難しいですね。
監修:大多和 二郎 先生
掲載日:2012年09月01日