助成研究者情報(神崎亮平先生7)|安全安心な科学技術の振興:セコム科学技術振興財団

東京大学先端科学技術研究センター 教授  神崎亮平先生 インタビュー「昆虫嗅覚センサー情報処理による匂い源探索装置の開発」(第3回)

 人間の脳は1000億個のニューロンからできています。昆虫はその100万分の1、わずか10万個のニューロンからなる小さな脳に、ひじょうに優れた嗅覚を備えています。以前2回にわたるインタビューでは、その能力を活用した『匂いセンサ』の開発と、人体に害を与える匂いを素早く検知し、目に見えない匂い対策によって安全・安心を高めることの重要性を教えていただきました。
 今回はその研究をさらに進化させ『匂いの検出と匂い源探索』をテーマに取り組んでいる国際プロジェクトに関する内容と、匂い研究のベースともいえる『脳の仕組みの解明』について、お話しいただきます。

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1957年和歌山県生まれ。1986年筑波大学大学院生物科学研究科博士課程を修了。理学(博士)。1986年よりアリゾナ大学神経生物学部博士研究員、1991年筑波大学生物科学系助手、講師、助教授を経て、2003年同大学教授。2004年東京大学大学院情報理工学系研究科教授、2006年より東京大学先端科学技術研究センター教授、副所長。現在に至る。生物の環境適応能(生命知能)の神経科学に関する研究に従事。日本比較生理生化学会会長。

前回のインタビューからだいぶ経ちましたが、その後、匂いセンサのご研究はどのように進んでいますか。

 最近は「空気中から特定の匂いを検出して、その匂いの源を探索する生物の能力」の解明を目指すプロジェクトに参加しています。これはドイツのコンスタンツ大学、アメリカのアリゾナ州立大学、イギリスのサセックス大学、そして日本の東京大学からなる国際研究グループで行っており、2015年度のヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラムに採択されました。
 ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラムは、日本政府が1987年に提唱した国際プロジェクトで、生体が持つさまざまな機能に対する基礎研究を推進し、その成果を人類全体の利益にすることを目的としています。

匂いを検出するだけでも大変なのに、その発生源を探索するとなると、さらに難しそうです。

 オスのカイコガには、メスが放つフェロモンを離れた場所から検出して、メスの居場所を探し出す能力があります。これはとても優れた能力ですが、わずか1万個程度のニューロンで行われていることが分かっています。そこで「匂いを検出し、匂い源を探索する」という一連の行動を再現するための研究を開始しました。
 匂いの検出には、カイコガの触角を使っています。1回目のインタビューでお話しをしましたが、カイコガの触角には匂いを受け止める嗅覚受容体があり、匂いをキャッチしたときに電気が発生します。この仕組みを利用して、カイコガの触角を根本から切り取り、基部と先端に細い銅線を差し込んでアンプに繋げると、匂いに反応した瞬間に電位変化が生じるため、匂いセンサとして活用できるのです。この触角をドローンに搭載して、空気中の匂いを調査します。

以前インタビューで説明していただいた、匂いを検知する培養細胞(センサ細胞)は、この研究では使っていないのですか。

 匂いセンサはいろいろ開発していますが、どれもまだ、実用化には至っていません。触角もセンサ細胞も、匂い検知の仕組みは同じです。現時点では液体の中にあるセンサ細胞よりも、空気中から匂いをダイレクトにキャッチできる触角の方が、今回の研究に適しているのです。

なぜ、その触角をドローンに搭載するのですか。

 今回の研究の目的の1つが、自然環境における匂い分布を調べることだからです。ドローンはかなり細かな制御ができるので、匂いセンサの触角を搭載して屋外で飛ばせば「Aポイントで検出された匂いは、Bポイントでも検出できるか?」「Cポイントではどうか?」といった具合に、自然環境の中でどの匂いがどのように分布しているのかを調べることができます。
 空気中に匂い成分がどのように分布しているかは、これまで誰も調べることができませんでした。それを可能にする高性能の匂いセンサがなかったためです。そのため、この実験は世界初の試みになります。

室内であれば1つずつの匂いを試すことができますが、空気中にはさまざまな匂いが混ざっていますよね。その中から特定の匂いだけを検知することができるのですか。

 どの匂いも、実は1種類の化学(匂い)物質から構成されているわけではありません。
 たとえばA花の匂いがA1+A2+A3という成分でできていて、このA花の蜜を集めるミツバチがいるとします。空気中にはA花と同じ種類の別のAA花の匂いや、B花やC花の匂いもあります。A4、A5 、B1、B2、C1、C2など、さまざまな匂い成分が混ざっている中で、ミツバチはA1+A2+A3という組み合わせを他の匂いと区別しています。さらに自然界では風が吹き、匂い源に近付くほど匂い成分は濃くなっていきますが、その状態も常に変化しています。そのような中でA花が咲いている方向を見定めて、飛んでいくことができるのです。
 これはすごいことのように思えますが、似たような能力は私たち人間にも備わっています。たとえば多くの飲食店が集まり、さまざまな匂いに満ちている場所でも、カレーの匂いは他と区別できますよね。

確かに、どんな匂いに満ちた場所でも、カレーの匂いはすぐに分かります。これは、私たちがカレーの匂い成分の組み合わせを覚えている、ということなのでしょうか。

 特定の組み合わせを脳が記憶していて反応するというメカニズムはまだ、解明されていません。しかし人間がカレーを区別できるように、昆虫も特定の匂いを区別していることは間違いありません。
 さらにカイコガの触角にある嗅覚受容細胞は、花などの一般臭に対して反応する細胞と、フェロモンにのみ反応する細胞の2種類があります。遺伝子操作によってこの「フェロモンにのみ反応する嗅覚受容細胞」だけを触角に残して,さらにはフェロモン以外の特定の匂いに反応するように作り替えることができます。つまり、特定の匂いに応答する嗅覚受容体のみをもつ触角をつくることができるわけです。しかも5~6時間という長時間の使用が可能であり、ドローンへの設置も簡単です。