SECOM RUGGUTS

TOPページヘ

四、強肴 熱すぎる観戦記トップイーストリーグ

第2節
2015年9月26日(土) 12:40キックオフ
セコムラガッツ 6 628 47 東京ガス
019

デビュー戦で地平線感じた大器の片りん。成績オール4の穏健派、兼村広大の飢餓
短い時間での出場が続くがインパクトプレーで魅せるWTB石橋秀基
  優しさは愛を救えるか。血を流さずに平和秩序を保てるか。姉妹に挟まれた3人兄弟の真ん中、兼村広大はいつだって争いごとをかいくぐり生きてきた。家族で映画館に行く時も、姉と妹の趣味嗜好に合わせて過ごした。見たかったアクションものは我慢して、黙って恋愛映画に付き合った。
 小学校の頃はクラスメートから勝手に「強いヤツがいる」と噂を立てられた。明くる朝、早速上級生に絡まれたが、一発殴られると兼村少年はその場でしずしずと泣いた。「なんだよこいつ、超よえぇじゃん」。すべては丸く収まった。
 今季、創部30年の歴史で初めて沖縄出身選手がラガッツの門を叩いた。南国島国の人柄だろうか、おっとりしている。声を荒らげることもない。「最後にケンカをしたのはいつだったろうか」(兼村)。それぐらい、もはや記憶の断片にすら残っていない。
 兼村は「ものさし」を見ていた。人間それぞれにある「ものさし」を。相手の目線で「ものさし」を見る、それが人生の要諦であることを幼少の頃より感覚で学んでいた──

  リーグ3戦目。9月26日、東京・秩父宮ラグビー場。やはりここで試合ができるというのはラグビーをやっている人間にとって大変な栄誉だ。2020年の東京五輪に向けた神宮外苑のリモデルに伴い、残念ながら建て壊しも決まっている。いつまでプレーできるかは分からない。もしかしたらこれが最後だったかも・・。昨年、一昨年とファンを悲しませるゲームばかりだった。今年こそはチャレンジャーの熱を届ける。
 立ち上がりの前半2分、ラガッツはブレイクダウンでファイトし相手のペナルティを奪うと、本郷伸太郎のPGで先制。7分に逆転されるが、18分には再び本郷がPGを決め、6-7と接戦に持ちこむ。ラガッツのアグレッシブな攻撃に東京ガスはたまらずペナルティを連発。17分にはFL高野祐史がシンビン(10分間退場)となる。この数的優位をお膳立てしたのがSH岡健二の速攻、そしてもう一人の初先発ルーキー、FL兼村だった。
「実は会社の研修でチームを離れ、その後風邪から扁桃腺炎をこじらせてしまい、しばらく十分な練習ができていなかった。それも手伝って試合前はいつもの倍緊張していたんです。まして秩父宮ですしね。でもファーストプレーですぐにスイッチが入った。いつもそうなんです。どんだけ硬くなってもボールに触ればあとは夢中になれる。僕はラグビーしにここに来たんだって思えるから」(兼村)。
 ボールを持てば身長2m近い外国人選手にもひるまず突進、ラインアウトでも伸びやかなジャンプでボール確保に努めた。前半38分まで6-14と競った展開。我慢したいラスト2分で痛恨とも言える2トライを献上したが、エンドが替わった後半は再び一進一退の攻防が続く。20分過ぎてもスコアは微動だに動かぬまま。昨季0-84で敗れた相手に真っ向勝負を挑み続けた。
 80分間フル出場のデビュー戦。ベンチでは安藤敬介戦略・分析担当が「いい選手だな」と何度も呟いた。兼村は鋭いタックルを何本も突き刺し、スクラムからプレッシャーをかけ続けた。ハンドリングエラーは皆無だった。

FB加藤祐太は2トライと気を吐いて量産態勢に突入
 幼い頃から、兼村はどんなことでもひょいひょいとできた。野球、バスケットボール、卓球、ビリヤード、ボウリング。足も速かった。小学校の走り幅跳びでは大会新記録も樹立した。頭もよかった。テストの成績もクラストップ。「幼稚園と小学校まではモテモテでした」と振り返る。それでも突出したものがなかった。
「何か一つぐらい誇れるものを持ちたい」。“自称オール4の男”は知らず知らずのうちに自分のファーストを探し始めていた。
 高校時代はバスケ部に在籍していたが、たまにラグビー部の練習にも参加していた。本人は遊びのつもりだったが、気付くとタックルの練習をしていた。「学校で一番怖い先生がラグビー部の監督で。見た目は完全にヤ○ザ。逃げられる雰囲気じゃなかった」(兼村)。いまや花園の常連校にまでなったコザ高、当時は名護高を常に追う立場だったが、率いる當眞豊監督は沖縄では知られた人物。兼村の才能をとうに見抜いていた。
 高3で本格的に競技スタート。キャリアまだ5年という未完の大器だ。「ラグビーをしていると無心になれる。心の底から熱くなれます。相手に当たるプレーは楽しい」。大学までは練習が好きな方ではなかったが、セコムに入社して半年、心境の大きな変化に直面している。
「仕事をしながら、ラグビーのためにかけられる時間も少ない。仕事で練習にいけないことも当たり前にある。そういう状況になって初めて、もっと練習がしたいと思えるようになりました」(兼村)。試合に出たい、勝ちたい、体重を増やしてチームの役に立ちたい。欲が出た。体内を強烈な飢えが駆け廻っている。

 8月、夏合宿最終日のAB部内マッチ。兼村は控え組のBチームにいた。「悔しかったし、プレーしていてもAに勝てると思っていた」。シーズン前最後のオープン戦となったマツダブルーズーマーズ戦、ベンチスタートだった兼村は、後半15分を過ぎると、レフェリーに選手交代を告げる役割の筆者に詰め寄ってきた。「あとどれぐらいで自分の出番か、岡本さん(=信児ヘッドコーチ)に聞いてください」。探し求めていたマイ・ファーストがラグビーなのかかまだ分からない。それでも衝動にかられるようにラグビーがしたかった。
 都会の暮らしには到底馴染めていない。ラフテーを口にするにも一苦労だ。せわしない日常でいつも何かに追い立てられる。セコムの仕事も東京という街も、島人(しまんちゅ)にとっては対極にあるのだろう。西武新宿線上りの満員電車通勤には辟易だった。「混みすぎて急行に乗れないこともあった。カルチャーショックです。でも、最初の配属先が現金護送の隊員でしたので。前よりはテキパキと動けるようになった気がします」(兼村)。

 狭山の隣町、埼玉県日高市はいま、色鮮やかな曼珠沙華が見ごろを迎えている。市内を流れる清流、高麗川。その周囲に広がる平地を秋の真紅が埋め尽くす絶景がある。沖縄で「あかばなー」と呼ばれるのはハイビスカス。心に映える赤にはるか故郷を想う。「いずれは沖縄に帰って、学校の先生になるのが夢です。そのために教育実習にもいきました。でも現実は狭き門、いま沖縄に戻っても自分のためにはならない。そのためにここで毎日を一生懸命に生きてみようと思っています」(兼村)。
 地平線の上に立って跳んでみた。あの日の神宮外苑の空は海よりも青かった。もうじき、どこまでだって跳べてしまいそうな、そんな気がしてならなかった。
【小谷 健志】
SH 岡 健二
SH 岡 健二

高校、大学と国内の頂点をめざす位置でプレーし、国内最高峰のトップリーグでは10年の長きにわたり、戦い続けてきた経験が息づく。天才スクラムハーフ、岡健二も32歳になった。電撃現役復帰のセコム入社から早3カ月。開幕3戦目で廻ってきた初先発。チャレンジャーたる姿勢を仲間に植え付けようと次々と速攻を仕掛けて流れを引き寄せ、相手を完全なまでの混乱に陥れた。