SECOM RUGGUTs

トップイーストリーグDiv.1
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トップイーストリーグDiv.1 第8節

セコムラガッツ  0 三菱重工相模原ダイナボアーズ  62
開催日 2014年11月22日(土) キックオフ 14:00
天候 晴/無風 開催地 江戸川区陸上競技場
レフリー 梶原 晃久(関東協会) 観客数 724人

勝負かけ仲間の心に火をつけた貴島のタックル。「気付いたら、いつもセコムがそばにいた」

セコムラグビー部1:タックルだけにフォーカスして王者に挑んだ一戦
タックルだけにフォーカスして王者に挑んだ一戦
【PHOTOGRAPHED BY Aki NAGAO】
 その瞳の奥には悔しさより自分が所属するチームへの忸怩たる思いが宿っていた。 前節、東京ガスになす術なく0−84と大敗した試合。メンバー外で試合補助をしていた貴島良太は、近くにいたスタッフのもとに歩み寄った。「オレだったら、もっとタックルいけますよ」。
 それから一週間後、彼は一躍、時の人となる──

 セコムの新人選手の勤務日程は想像以上に厳しい。試合に出た次の日の朝から仕事に向かい、現場の最前線に立つ。また次の試合の日に休みをもらわなければならないので、平日のほとんどが夜勤、わずかな夜勤明けの半日休みしか残らず、気付けばすぐに試合前日を迎えていた。
 貴島もそのひとりだった。開幕3戦目の釜石シーウェイブス戦、4戦目の横河武蔵野アトラスターズ戦と続けてベンチに入ったが、出番はいずれもラスト5分のみ。「どちらも攻められている局面で入ったのでグラウンドの中を走っているだけでした」(貴島)。
 以降、メンバーからも漏れた。虎視眈々とレギュラーの座を狙ってはいたが「なかなか練習に参加できなくて、気を揉んでいました。前日練習に参加するだけだとAチームの合わせの相手役で終わってしまう。でもこのままやと一生バッグ持ちやなと思って。コンタクトの練習があったら、次の日試合とか関係なく激しくいこうと決めたんです。内心、先輩たちのことケガさそかなと思ってました」(貴島)。
 試合に出たい。15人に選ばれたい。補欠がレギュラーを喰ってのし上がる。ごくごく自然な摂理だ。競争社会の暗黙のルールと言ってもいい。
 だがそれすらも垣間見えない現代社会にちょうど嫌気が差していたところだった。なんだか面白い若者が出てきたじゃないか。早速、貴島のルーツを探ってみるとしよう。

セコムラグビー部2:SO貴島選手
スタメンデビュー戦でビッグタックル連発のSO貴島良太
 京都市・洛西の生まれ、貴島は父親のすすめで幼稚園からラグビーを始める。小学校の高学年までは「やめたい、野球がしたい、サッカーがしたい」と泣いて駄々をこねていたが、地元の強豪中学に進学し、大差で勝つ味を覚えるといつの間にかラグビー一筋にのめりこんでいった。
 貴島の父、良介さんは「我楽苦多」というクラブチームでプレーをしている。高齢化とメンバー不足に悩まされているが48歳、いまも現役だ。
「よくオヤジに連れられて、ラグビー仲間の人たちと遊んでいました。山登ったり、スキーに行ったり、トップリーグの試合を見たり。小2で無謀にも白馬に挑戦して高山病になってゲロ吐きまくりましたけど」(貴島)。
 その頃から、貴島はセコムラガッツの存在を認識していた。「家がスカパーを契約していたので、テレビでもトップリーグの試合をよく見ていました。セコム=山賀さんがいるチームという印象(笑)」。
 高校は強豪・京都成章高。SOとして2年の冬はリザーブ止まりだったが、3年は正指令塔として全国へ。2年連続花園ベスト4という輝かしい戦績を収めた。「高校の頃はタックルが嫌いで、パスとキックで組み立てる選手でした。よく居残りでタックル練習やらされていましたし」。

セコムラグビー部3:PR海老沢選手とLO西川選手
体を張ることで活路を見出すPR海老沢洋とLO西川匠
 大学は猛練習で知られる京都産業大へ進学。2年、3年と入替戦を経験する苦しいシーズンを乗り越え迎えた最終学年。チームは3位と躍進したが、貴島は前十字靭帯損傷でシーズンを棒にふった。
「コンタクトに負けない体を作ろうと思って。元々食事は量を食べる方なんですが、しっかり食べてウエイトの回数増やしたら止まらなくなってしまい‥」。74sだった体重は92sにまでアップ。おかげで相手の重さや強さを感じなくなり、接近しながらのプレーを身に着けたが、ケガで輝きを放てぬままだった。
 プレーもできず、就職活動も思うように進まない9月。進路に悩んでいた貴島はある覚悟を決めて、大西健監督の自宅を訪ねた。
「家が近くて5分のところに住んでいましたが、それまで近寄ることはありませんでした。怒鳴ったりしないけど、オーラがすごくて姿が見えただけで怖い監督。オフの日に地元で会うのが嫌で、車を見たら逃げたりしていました」。

セコムラグビー部4:CTB姫野選手
CTB姫野拓也は効果的な仕掛けでラインブレイクを見せた
 一時の辞任とブランクはあったが京産大を率いて40年以上、泣く子も黙る関西を代表する指導者である。「いまと昔では全然ちゃうと思うけど。オレが入った頃はもっと凄みがあって、4年に大畑さん(大介氏)もいて、大西先生もここで日本一獲らなあかんと息巻いていた時期。ただ、一生懸命やるヤツには熱い人。それはずっと一緒やと思う」。京産大OBの長井達哉バックスコーチの弁だ。
 貴島は社会人でもラグビーを続けたいと思っていること、進路で相談したいことを告げた。大西監督の返事は「わかった。考えておく」とそっけなかったが、それから数日経ったある日、神戸製鋼で現役を引退したOBの先輩から話が舞い込んでくる。
「なぁ貴島、セコムはどうや?」。

セコムラグビー部5:安藤監督とSO貴島選手
交代でベンチに下がる貴島と握手を交わした安藤敬介監督はひと言「感動した」
 岐路に立つたび、人は自らに決断を下す。そして貴島良太という人間は、やると決めたことは有言実行できる男だ。
 惨劇の東京ガス戦から2日後の夜、貴島のケータイが鳴った。安藤敬介監督からだった。「三菱戦、お前を10番で使おうと思っている」。ついに来た!と心躍ったが冷静に考えて答えた。「練習で合わせてないのでアタックは厳しいかもしれませんが、タックルだけはやり切ります」。
 試合当日、念願だった背番号10を背負い貴島が先発デビューした。キックオフから弾丸のような飛び出しで圧倒的な実力差のある王者にひるむことなく突き刺さる。
「すげぇタックル、あいつ誰?」「また貴島だ」。ベンチもスタンドも、にわかにざわつきを覚えた。一方的な展開のワンサイドゲームには似つかわしくない、清々しいほどの蒼い空気が芝の上を突き抜けた。これこそがラガッツが発したかった熱だった。
 三菱の重戦車が次々に仰向けになった。後半20分で交代。上々のデビュー戦だった。「スグルさん(松本聖)が後ろでコントロールしてくれたので、自分のやらなあかんことだけに集中できました。今日は15人のうちの一人でタックルしただけ。それでもアピールはできたと思います」。

セコムラグビー部6:WTB納谷選手
久々の出場となったWTB納谷大将は物怖じしないプレー
 あゝそうだった。思い出した。子どもの頃、貴島が父親に連れていかれた祇園の沖縄料理屋。そこのご主人はラガッツのグッズを持っていた。
 その主人からもらったジャージーやヤッケは実家の部屋にしまってある。もうずうっと前から、いつもセコムがそばにいたことに気がついた。
「自分の知っているラガッツはトップリーグのチームでした。だからもう一度上がりたいんです。昔のラガッツがいた年数(3年)を、何年もかけて超えていきたい」(貴島)。
 まだ関東に友達がいない。グラウンドを離れれば「森田(大貴)と食べ歩くことだけが愉しみ」という半分ホームシック気味の好青年。名立たるもの追い、輝くものを追い、貴島が見晴るかす地上の星はいま何処にあるのだろう。
【the author T.Kotani】
監督の目
監督 安藤 敬介
「一つでも上にいくために完勝をめざす」
 アタックのことは考えないで、どこまでディフェンスの部分で戦えるか。どれだけタックルに入れるかというゲームだった。昨年100点取られた相手を60点に抑えることができたのは覚悟を決めて全員が体を張ったから。今日のしつこく、粘っこい守りが開幕からできていれば、このような成績にはなっていなかったと思う。
 状況として最終戦に可能性が残った。一つ上の順位にいくために「完勝」をめざす。一人ひとりがそれ以上の働きをすることで優位を生み出したい。
セコムラグビー部7:安藤監督
マンオブザマッチ
主将 今村 六十
「全員が体を張れば最終戦は必ず勝てる」
 後半20分までは集中してタックルにいけて、皆が逃げずに体を張ったプレーができた。これをスタンダードにしなければいけない。相手よりも体が小さく、スピードでもコンタクトスキルでも劣るラガッツが勝つには、一人の例外もなく全員が体を張るしかない。フィットネスは鍛えてきた。走り負けることはない。
 全員がキックオフの瞬間からノーサイドまで、体を張り続ければ最終戦は必ず勝てると信じている。どんな展開になっても諦めず、体を張る続ける。体の中から熱くなれば声だって自然に出る。
セコムラグビー部8:CTB今村 六十
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