SECOM RUGGUTs

戦績


チームの歴史

年度 戦いの歴史 歴代主将
歴代副将
チーム背景
1985 関東4部リ−グから出発。全勝優勝を飾り、同3部リ−グ昇格。
部員42名からのスタート。元日本代表LO、ターザン橋本こと橋本晋一氏が部長。廣畠登氏がヘッドコーチ。監督は置かずコーチ、キャプテンを中心としたチーム作りを掲げる。
岡田鉄太
1986 関東3部リーグ全勝優勝。創部以来、公式戦14連勝を飾るが入替戦で東京海上火災に惜敗。
主将を中心に委員会制をとっており副将不在でチーム運営を行う。寮生活においてもFOR THE TEAMの基礎ができた。仕事とラグビーの両立が大前提だった。
社内に「セコムラグビー部後援会」が発足。グッズや選手名鑑などの観戦ガイドブックをプレゼント。
岡田鉄太
1987 関東3部リーグで2年連続全勝優勝。入替戦も制し同2部リーグへ昇格。
創部当初より部員の中に常駐社員がいて勤務日程上、全員で一緒に練習する日が週3日しかなかった。寮にエアコンが備え付けられた。日曜日も会社の名前を叫び続けた。
渡辺幸雄
1988 関東2部リ−グで4勝2敗 3位。
初対決で三菱重工相模原との因縁が始まる。その後、勝ったり負けたりを繰り返す。チームの方針について議論(喧嘩)が絶えなかった。
渡辺幸雄
1989 関東2部リ−グで全勝優勝。代表決定戦の東京ガス戦では、苦しみながらも15-15の同点、トライ数差で入替戦進出へ。日立製作所を破り、同1部リ−グ昇格。
関東・関西の有名大学から5名入部する。主要ポジションごとに安定感が増強。
西田和夫
1990 関東1部リーグ4勝3敗 4位。
1部昇格に伴い、クラブブレザー・スラックス・タイを制作。チームの正装とする。スター不在の中、雑草のようにチームは力強く戦い続けた。
西田和夫
1991 関東1部リーグ3勝4敗 5位。
橋本晋一部長の後輩にあたる中村康司氏がコーチとしてスタッフ入り。廣畠登氏と共にチームの指導にあたる。
西田和夫
北原哲史
1992 シーズンわずか1勝に終わる。1部リーグ最下位に沈み、入替戦でも敗れて2部降格。
チームドクターとして東京女子医科大助教授・医学博士(当時)の井上和彦先生を招き指導を仰ぐ。同じくラグビー部初の女性スタッフとして、東京女子医科大勤務の北理奈さん(〜02年)をトレーナーとして招く。
この年、セコム柔道部が創設される。
北原哲史
上田健史
1993 関東2部リ−グ5勝1敗 2位。
元豪州U21以下代表コーチ、バリー・テイラー氏を臨時コーチに招聘。
この年新入部員が18名入社し、総勢72名の大所帯に。「チーム改革元年」と銘打つ。
北原哲史
石橋晴夫
1994 関東2部リ−グで全勝優勝。クボタと共に、1部リ−グ復帰を果たす。
第1回海外留学制度がスタート。荒川泰、菅宏之介が半年間シドニーへ留学。ノースクラブでプレーする。
北原哲史
川崎弘哉、齊藤政美
1995 関東1部リ−グ2勝4敗1分 5位。
第2回海外留学、望月壮史・島田昌紀の両選手がシドニーへ。
チーム初の外国人選手、豪州のロン・ウエスト・ドロップ(〜95年)、イングランドのジェイソン・ホリス(〜96年)が加入。
荒川泰
齊藤政美
1996 関東1部リーグ2勝5敗 7位と低迷。2部降格の危機も入替戦では、ベテラン・鳥松光が骨折を押して強行出場。折れた手のまま捨て身のタックルを連発し執念で残留を勝ち取る。
トンガ代表で第3回W杯に出場したペニエリ・ラトゥ(〜99年)、アリフレッティ・ファカオゴ(〜98年)が加入。ラトゥは、日本代表で大活躍したシナリ・ラトゥ選手(現・大東文化大監督)の実弟。
第3回海外留学、瀧島徳秀・笠井道也の両選手がシドニーへ。
社内に「セコムスポーツ後援会」が発足する。
荒川泰
望月壮史、齊藤政美
1997 関東1部リ−グで6勝1敗 2位。入替戦に出場するも、宿敵・新日鐵釜石に敗れ昇格ならず。
トンガ代表のフレティ・マホニ(〜04年)が来日。
海外留学制度で、北真樹、平岡裕司の両名がNZのカンタベリー大クライストチャーチへ留学。
荒川泰
瀧島徳秀 笠井道也
1998 関東1部リーグ3勝4敗 4位。明治生命戦で主将の荒川泰が靱帯断裂の大ケガ。現役引退に追い込まれる重傷を負う。主将を欠いたチームはそれを皮切りに連敗街道に陥る。
3月20日橋本晋一部長が死去。代わって廣畠登氏が部長に就任(〜00年)。
海外留学制度で内川和彦、仲野哲也の両選手と、上田健史コーチがNZのカンタベリー大クライストチャーチへ3ヶ月の留学。
宮川一弘氏(〜99年)と契約し、ストレングスコーチ制度導入。
荒川泰
鈴木修
1999 関東社会人1部リーグ6勝1敗で優勝。入替戦で伊勢丹を破り、念願の東日本リーグ昇格を決める。同時にクボタを下し、全国社会人選手権に初出場。結果、予選リーグ3戦3敗。トップレベルを肌で体感する。
創部14年目初の監督制を導入。中村康司氏が初代監督に就任。
7人制、10人制トンガ代表のオファ・トペニ(〜01年)が加入。フレティ・マホニ(〜04年)と3列で強力なタッグ。
瀧島徳秀
笠井道也
2000 6月にNZへ10日間、創部史上初となる海外合宿を行なう。
東日本リ−グ1年目は1勝7敗 7位。チャレンジリーグに回るも全勝で切り抜け東日本リーグ残留。

荒川泰コーチが若干29歳でリーグ最年少監督に就任。
中村康司前監督は副部長に。
瀧島徳秀
仲野哲也
2001 東日本リ−グで強豪・三洋電機、リコーを破り3勝4敗で4位に入る。
NZ・ウェリントン協会からマリー・ポール・トッカー氏(〜02年)をヘッドコーチに迎える。荒川泰監督はチームディレクターへ。
サモア代表のセネ・タアラ(〜07年)、NZカンタベリー州代表候補のディレック・メイジー(〜01年)が加入。
上野進
今井通
2002 東日本リ−グ2勝5敗 5位。全国社会人選手権予選プ−ルで、コカコーラウェストジャパンを破り、全国大会初勝利。
来季から開幕する「ジャパンラグビ−トップリ−グ」への昇格を果たす。

澤口高正、小池善行選手がアジア大会で日本代表入り。
トンガ代表キャプテンで、スーパー12のウェリントン・ハリケーンズでプレーするイノケ・アフェアキ(〜04年)が加入。
渡邉庸介
長井達哉
2003 記念すべきトップリーグ初年度、開幕から6連敗と苦しむも、前年日本一のNECを破るなど終盤に3連勝。だが3勝8敗、勝ち点15の11位で無念のリーグ自動降格となった。
チーム名称を社内公募で選び「RUGGUTs」と命名。
1stユニフォームデザインを一新。白地に青のラインを用いたカラー。
元7人制日本代表コーチの加藤尋久氏をヘッドコーチに迎える。
サモア代表キャップ50の国民的英雄、ブライアン・リマ(〜03年)が加入。
社内に「ラグビー部を日本一にする会」が発足する。
渡邉庸介
澤口高正、仲野哲也
2004 7月にNZ・フィジーへの海外合宿を実施。
トップイースト10で全勝優勝を飾り、トップチャレンジシリーズへ進出。トップリーグ復帰を決める。関東代表に最多7名が選出された。

イノケ・アフェアキ、新外国人のフィジー代表ノーマン・リガイリ(〜05年)、セレマイア・バイ(〜05年)がパシフィック・アイランダーズ(環太平洋3国代表)にメンバー入り。
渡邉庸介
小池善行、安藤敬介
2005 2年ぶりトップリーグ復帰で2勝9敗勝ち点15の10位。入替戦で九州電力下しリーグ残留決める。
鈴木貴士選手が7人制日本代表入り。シーズンオフに鈴木学選手が2006年度日本代表スコッド入り。

現役選手の生沼元が病気のため26歳で逝去。喪章をつけて臨んだシーズン。
創部20周年で改めてチーム理念を発表。WRSKooGa社とスポンサーシップ締結。ジャージーデザイン一新。チームカラーは白・黒・ゴールド。
狭山のラグビーフィールドを全面リニューアル。人工芝導入。ウェイトルームに国内最高レベルのマシンを配備。
スーパー12のワラタスでプレーするスコット・カウチ(〜06年)、南アフリカからピア・エイス(〜05年)が来日。
小池善行
安藤敬介
2006 トップリーグで2勝11敗勝ち点14の13位。トップイーストリーグ11に自動降格。
鈴木貴士選手が7人制日本代表、アジア大会で金メダル獲得。

3年間チームを率いた加藤尋久氏に代わり、ウェイン・ラブ氏がヘッドコーチに就任。バックスコーチに元オールブラックスのジョニー・シュースター氏を迎える。
NPCサウスランドで活躍したリチャード・アパヌイ(〜06年)が加入。トンガ代表のシオペ・カペリ(〜06年)、南アフリカからジェームズ・リチャーズ(〜06年)とともに来日。
小池善行
安藤敬介
2007 トップイーストリーグ11で9勝1敗勝ち点43の2位。トップチャレンジシリーズで敗退し入替戦に進めず。
ウェイン・ラブ氏に代わり、ベイデン・スティービンソン氏がヘッドコーチに就任。FWコーチにマット・ケイ氏を迎える。
また選手兼任のバックスコーチで岩渕健輔氏が就任。新外国人でアンドリュー・ブラウン(〜08年)、ジョシュア・フィマオノ(〜08年)、マット・ウィンデル(〜08年)が加入。
鈴木貴士
渡邉庸介、艶島悠介
2008 新外国人のジョネ・タワケ(〜08年)、ティモシー・カラン(〜08年)が来日し外国人5人体制となるも、トップイーストリーグ11で6勝4敗勝ち点32の5位に沈み、9年ぶりに年を越せずシーズンを終える。
2009年2月10日に会社の強化中止が発表される。
鈴木貴士
渡邉庸介、艶島悠介
2009 「原点回帰」を掲げ、社員有志でチームを再結成。部に残った16名の選手に社業に専念していたOB数名が現役復帰、さらに2名の新入社員を迎え、トップイーストリーグへ参戦するも1勝10敗で11位。入替戦に回るも、執念で勝利をつかみリーグ残留を果たす。
純和製のメンバー編成、ラガッツの第二章がはじまる。
姫野拓也
丸山隆正
2010 再び企業の運動部としての位置づけを明確なものにし、部員不足を社内公募などで補う。チームカラーをコーポレートカラーに戻し、公式戦ジャージーを一新。トップイーストリーグは3勝8敗で11位。入替戦には勝利するもリーグ再編に伴い、来季Div.2への参入が決まる。
「BIG CHALLENGE」をスローガンに、社業と競技の両立を重要テーマに掲げる。
高根修平
升本草原
2011 5名の新人を迎え1年でのDiv.1復帰を目指したシーズンだったが、開幕戦で大敗を喫し失速。その後も勝ち負けを繰り返す戦績でトップイーストリーグは3勝3敗で3位。入替戦にすら進めず12月中にシーズンを終えた。
「RESPECT」を掲げ、優勝をめざすも社業との両立に苦しみ転機を迎える。
升本草原
2012 さらに5名の新人が加入。現役引退した安藤敬介が新監督に就任し、リーグ全勝優勝とDiv,1昇格を目標にチーム作りに着手。忘れかけた規律を植え付け、見事Div.2で7戦全勝優勝。来季Div.1昇格を勝ち取った。
「熱源」を取り戻す戦い、リーグ最少人数の選手24名での全勝優勝を飾る。
今村六十
姫野拓也、西川 匠
2013 大量12名の新人が加入。久々となる未成年の部員として、定期高卒の煦莓]が入部。3年ぶりのDiv.1で1勝8敗、最下位に沈むも、昇降格順位決定戦ではブルーシャークスを退けてリーグ残留を決める。
「生存」を掲げた安藤体制2期目。ファンブックやスタンプラリーなど新たな試みが始まる。
今村六十
姫野拓也、西川 匠
2014 さらに9名の新人が加入。S&Cコーチとして新たに見山範泰氏を招へい。リーグ戦では創部史上初の屈辱となる全敗に終わるも、昇降格順位決定戦では秋田ノーザンブレッツを下し、最終順位を9位に上げる。
「5位」をターゲットにした安藤体制集大成となる3期目、結果を達成ならず、安藤監督はシーズン終了後に退任を発表。
今村六十
姫野拓也、西川 匠

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